ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
香椎宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
香椎宮
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[ファイル:Kashii-gu 002.jpg|500px|thumb]] '''香椎宮'''(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎(筑前国糟屋郡)にある、[[仲哀天皇]]と[[神功皇后]]を祀る神社。仲哀天皇の[[皇宮]]跡。[[聖母信仰]]の総本社。元来は神社ではない霊廟だったとされ、異色の歴史を持つ。現在の祭神は仲哀天皇・神功皇后、相殿に[[応神天皇]]・[[住吉大神]]を祀る。[[国史見在社]]・[[官幣大社]]・[[神社本庁]][[別表神社]]・[[勅祭社]]。[[八幡信仰]]とも密接な関係がある。[[石清水八幡宮別宮]]の一つ。[[香椎宮関連旧跡]]も参照。 <!-- ==奉斎== ==由緒== --> ==歴史== *神功皇后が夫の仲哀天皇の神霊を橿日宮に祀ったのが始まりとされる。 *724年:神功皇后の宮も建てられ、香椎廟とされた。 *737年:[[新羅]]の無礼を奉告する奉幣使が派遣され、以後、[[宇佐神宮]]と共に勅使派遣がたびたび行われ、香椎使と呼ばれた([[宇佐使]]を参照) *927年:延喜式編纂。香椎宮は神社とはされず、「橿日廟」として記載される。陵墓と同じ扱いをされている。 *1587年:小早川隆景、159石を寄進。 *1683年:黒田光之、30石を加増。 *1744年:70石を加増。 *1744年:奉幣使復興。 *1801年:現在の本殿を造営 *1871年:国幣中社 *1885年:官幣大社 *1915年:仲哀天皇を主祭神に復帰。 *1924年:10年に一度の勅使派遣が決まる。 ==境内== *本社: *武内神社:摂社。 *巻尾神社:摂社。 *稲荷神社:末社。 *鶏石神社:末社。 *朽瀬神社:末社。 *平野神社:末社。 *印鑰神社:末社。 *高倍神社:末社。 *浜男神社:末社。香椎川の下流にある。 *御島神社:末社。祭神は[[綿津見神]]。海中の小島にある。 *早辻神社:末社。 *弁財天社:末社。祭神は[[市杵嶋姫命]]。 *不老水: *古宮跡: *[[香椎宮頓宮|頓宮]]: ==組織== 前近代の神職の長官を「大宮司」と呼び、[[武内宿禰]]末裔の武内家(香椎武内家)が世襲した。最初は「廟司」と呼ばれた。 ===大宮司=== ===大宮司・宮司=== 伴氏、大膳氏、大中臣氏、清原氏の四氏が大宮司職に就いた。伴氏は江戸時代に既に絶えていた。 ===大宮司・宮司=== 大膳氏から武内家と木下家 *船曳鉄門(1823-1895)<-1873->:国学者。1823年(文政6年)生。1895年(明治28年)死去。弟子に真木保臣。 *三輪田元綱(1828-1879)<>:尊攘志士。国学者。伊予の日尾八幡宮出身。1828年(文政11年)生。大国隆正に師事。平田派に入門。足利将軍像梟首事件に参加して捕らえられる。維新後、神祇権少佑。[[大山祇神社]]宮司。[[八坂神社]]宮司。[[鳥越神社]]祠官。。1879年(明治12年)死去。 *倉八隣(1828-1902)<1875->:福岡県出身。1872年(明治5年)4月20日香椎宮禰宜。1873年(明治6年)4月10日中講義。1874年(明治7年)2月8日、権宮司兼権大講義。1875年(明治8年)11月15日宮司。1877年(明治10年)5月8日大講義。同年12月8日、宮司廃止、12日に改めて宮司就任。1880年(明治13年)5月27日、権少教正。1887年(明治20年)6月15日、[[宗像大社]]宮司。 *岡辺光澄(生没年不詳)<1897->:1897年(明治30年)7月1日、香椎宮宮司。1889年(明治22年)[[出羽神社]]宮司。 *木下美重(1853-1911)<1900->:1878年(明治11年)神宮宮掌。1885年(明治18年)香椎宮主典。1887年(明治20年)香椎宮禰宜。1899年(明治32年)2月24日[[伊佐須美神社]]宮司。1900年(明治33年)9月18日、香椎宮宮司。[[神宮豊前教会]]設立に尽力。1911年(明治44年)1月25日死去。 *杉谷正隆(1865-1945)<1911-1916>:熊本県出身の神職。[[玉前神社]]宮司、[[安房神社]]宮司、[[浅間大社]]宮司、[[氷川神社]]宮司を経て1911年(明治44年)3月、香椎宮宮司。仲哀天皇合祀を実現。1916年(大正5年)10月2日、[[平安神宮]]宮司。[[八坂神社]]宮司、[[乃木神社]]社司を歴任。(略歴は、[[平安神宮#組織]]を参照) *稲村真里(1867-1961)<1916-1918>:沼津藩士の子。1867年(慶応3年)生。1893年(明治26年)国学院卒。国学院講師。神宮皇学館講師。1914年(大正3年)7月31日、[[播磨・海神社]]宮司。1916年(大正5年)10月2日、香椎宮宮司。1918年(大正7年)11月15日、[[高良大社]]宮司。[[日光二荒山神社]]宮司。1925年(大正14年)10月16日、[[浅間大社]]宮司。1937年(昭和12年)8月28日まで[[安房神社]]宮司。同年従四位。祝詞の専門家で著書多数。1961年(昭和36年)12月23日死去。 *吉田豊(1871-1922)<1918-1922>:福岡県出身の神職。1918年(大正7年)11月15日。(略歴は、[[大和神社#組織]]を参照) *緒方稜威雄(1873-1945)<1931-1945>:熊本県出身。1973年(昭和48年)生。1890年(明治23年)、主殿寮仕人。[[筥崎宮]]主典、[[竈門神社]]禰宜などを歴任して1920年(大正9年)11月19日、[[八代宮]]宮司。1922年(大正11年)9月19日、[[住吉神社]]宮司。1931年(昭和6年)9月19日、香椎宮宮司。1945年(昭和20年)5月22日死去。 *杉村馨()<> *木下祝夫(1894-1980)<1959->: *上田興()<>:1984年(昭和59年)香椎宮宮司。 *足立憲一 *斎藤普春(1854-1913):(略歴は、[[丹生川上神社#組織]]を参照) ==画像== <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> file:kashii-gu 004.jpg|参道入口 鳥居 file:kashii-gu 005.jpg|楼門 file:kashii-gu 003.jpg|神門 file:kashii-gu 006.jpg|拝殿 file:kashii-gu 002.jpg|本殿 file:kashii-gu 001.jpg|神木 綾杉 </gallery> ==資料== [[category:福岡県]]
香椎宮
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ