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国柱会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 国柱会の名称は、日蓮の三大誓願の一つ「我日本の柱とならむ」(『開目抄』)に基づく。 | ||
+ | 機関紙などによる伝道活動を中心としている。 | ||
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+ | ==歴史== | ||
+ | *1880年:田中智学、横浜で蓮華会を創設。 | ||
+ | *1885年:本部を東京に移して立正安国会と改称。 | ||
+ | *1902年:田中智学、『本化妙宗式目』を著す。 | ||
+ | *1914年:静岡県三保に最勝閣が完成したのに合わせ、国柱会に改組。 | ||
+ | *1916年:東京鶯谷に国柱会館を建設。 | ||
+ | *1928年:妙宗大霊廟を建立。 | ||
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*原田義彦 | *原田義彦 | ||
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+ | *小菅丹治(1859-1916):実業家。田中智学の初期のパトロン。呉服店「伊勢丹」創業者。最勝閣建設には巨財を提供した。1916年2月25日死去。初代小菅丹治。 | ||
+ | *山川智応(1879-1956):仏教学者。田中智学の高弟。国柱会総務、立正大学講師を歴任した。智学の死後、除名されて[[本化妙宗連盟]]を設立。1956年6月2日死去。ペンネームは武田乙若。 | ||
+ | *石原莞爾(1889-1949):陸軍中将。辛亥革命に影響を受けて日本改造を志し、1920年に国柱会に入会。1928年、関東軍主任参謀。満洲事変、満洲国創設を主導した。1935年参謀本部作戦課長。東條英機と対立し罷免。右翼団体東亜連盟を指導した。1941年、立命館大学教授。1949年8月15日死去。著書『世界最終戦論』 など。 | ||
+ | *宮沢賢治(1896-1933):詩人。童話作家。農村指導者。1920年、国柱会入会。1933年9月21日死去。38歳。文学作品が評価されたのは死後のこと。 | ||
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2022年3月1日 (火) 時点における版
国柱会は、田中智学を開祖とする日蓮宗教団。近代の日蓮主義を代表する在家仏教教団。東京都江戸川区に本部申孝園を置く。 三保に最勝閣があった。
国柱会の名称は、日蓮の三大誓願の一つ「我日本の柱とならむ」(『開目抄』)に基づく。 機関紙などによる伝道活動を中心としている。
目次 |
歴史
- 1880年:田中智学、横浜で蓮華会を創設。
- 1885年:本部を東京に移して立正安国会と改称。
- 1902年:田中智学、『本化妙宗式目』を著す。
- 1914年:静岡県三保に最勝閣が完成したのに合わせ、国柱会に改組。
- 1916年:東京鶯谷に国柱会館を建設。
- 1928年:妙宗大霊廟を建立。
- 1929年:申孝園を設置して本部を移した。
組織
教主
呼称は時期によって異なる。総裁、霊廟賽主、会長と移っているが詳細は不明。現在は賽主。敬称は先生。
- 1田中智学(1861-1939):
- 2田中芳谷(1884-1973)<1939-1973>:1938年(昭和13年)4月、代理総裁に就任。翌年国柱会総裁となり、師子王文庫庫主、明治会会長に就任。1949年(昭和24年)秋から国柱会霊廟賽主となる。
- 3田中香浦(1921-1996)<1973-1996>:本名は車一郎。本部に奉職し、国柱会主幹(代表役員)を長らく務めた。1973年(昭和48年)、国柱会霊廟賽主、師子王文庫庫主に就任。翌年、国柱会会長となった。
- 4田中暉丘()<1996-2005>:本名は隆一。霊廟賽主
- 5田中壮谷()<2005->:本名は勇一郎。
『日本仏教基礎講座』ほか
理事長
- 中平千三郎
- 安中又六
- 原田義彦
人物
- 小菅丹治(1859-1916):実業家。田中智学の初期のパトロン。呉服店「伊勢丹」創業者。最勝閣建設には巨財を提供した。1916年2月25日死去。初代小菅丹治。
- 山川智応(1879-1956):仏教学者。田中智学の高弟。国柱会総務、立正大学講師を歴任した。智学の死後、除名されて本化妙宗連盟を設立。1956年6月2日死去。ペンネームは武田乙若。
- 石原莞爾(1889-1949):陸軍中将。辛亥革命に影響を受けて日本改造を志し、1920年に国柱会に入会。1928年、関東軍主任参謀。満洲事変、満洲国創設を主導した。1935年参謀本部作戦課長。東條英機と対立し罷免。右翼団体東亜連盟を指導した。1941年、立命館大学教授。1949年8月15日死去。著書『世界最終戦論』 など。
- 宮沢賢治(1896-1933):詩人。童話作家。農村指導者。1920年、国柱会入会。1933年9月21日死去。38歳。文学作品が評価されたのは死後のこと。