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大和・大窪寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月16日 (月)
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+ | [[file:944AB164-CFA3-4A8F-9A1F-39EFF230E6CC.jpeg|thumb|300px|畝傍山周辺(国土地理院空中写真より)]] | ||
+ | '''大窪寺'''(おおくぼでら)は、大和国高市郡(奈良県橿原市大久保町)にあった[[古代寺院]]。[[関東祈祷所]]。跡地に[[国源寺]]がある。(参考:同名寺院[[大窪寺]]) | ||
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+ | 『日本書紀』の686年8月条に[[檜隈寺]]・[[軽寺]]・大窪寺に各百戸を封じたとある。跡地周辺から7世紀の瓦が出土している。『春日大社文書』などから少なくとも鎌倉時代末ごろまでは存続したとみられている現在の[[神武天皇陵]]の区域も含み、陵治定の根拠となった神武田の盛土は大窪寺の塔跡ではないかという見方もある。現在の国源寺の前に大窪寺の塔礎石と言われる巨石がある。1990年に一部発掘調査が行われ、多数の柱穴が見つかった。(日本歴史地名大系、橿原市ウェブサイト) | ||
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2022年5月16日 (月) 時点における最新版
大窪寺(おおくぼでら)は、大和国高市郡(奈良県橿原市大久保町)にあった古代寺院。関東祈祷所。跡地に国源寺がある。(参考:同名寺院大窪寺)
『日本書紀』の686年8月条に檜隈寺・軽寺・大窪寺に各百戸を封じたとある。跡地周辺から7世紀の瓦が出土している。『春日大社文書』などから少なくとも鎌倉時代末ごろまでは存続したとみられている現在の神武天皇陵の区域も含み、陵治定の根拠となった神武田の盛土は大窪寺の塔跡ではないかという見方もある。現在の国源寺の前に大窪寺の塔礎石と言われる巨石がある。1990年に一部発掘調査が行われ、多数の柱穴が見つかった。(日本歴史地名大系、橿原市ウェブサイト)