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明石神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月4日 (日)
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+ | *1682年(天和2年):3代松平直常が城内に徳川家康・直良・直明の霊を祀ったのが始まりという。山里曲輪にあったという。1682年(天和2年)は入城の年で直明在世中なので合わない。(兵庫県神社庁ウェブサイトほか) | ||
+ | *1871年(明治4年):一般参拝解禁。(兵庫県神社庁ウェブサイト) | ||
+ | *1886年(明治19年)3月:本丸跡に遷座し、社殿を造営。(『明石市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573673/489]) | ||
+ | *1886年(明治19年)4月26日:明石神社と称した。(『明石市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573673/422]) | ||
+ | *1886年(明治19年)9月26日:一説に護穀神社を合祀。(『明石市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573673/422][https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573673/489]) | ||
+ | *1890年(明治23年)1月9日:郷社に列格。(『明石市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573673/489]) | ||
+ | *1898年(明治31年):明石城跡が宮内省用地となる。 | ||
+ | *1917年(大正6年):明石神社を上の丸山王神社の隣の現在地に遷座(『明石市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573673/483])一説にこの時、護穀神社を合祀(明石の史跡)。遷座は1899年(明治32年)、1918年(大正7年)とも。 | ||
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+ | *『明石城関連絵図資料集』[https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2820305100/2820305100100150/ht000210] | ||
+ | *「兵庫県神社庁ウェブサイト」[https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6309008.html] | ||
+ | *『明石の史跡』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9575215/36] | ||
+ | *『明石市史資料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576596/101] | ||
+ | *『兵庫県神社誌』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1687434/128] | ||
+ | *『府県郷社明治神社誌料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992757/338] | ||
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2022年12月4日 (日) 時点における最新版
明石神社(あかし・じんじゃ)は兵庫県明石市上ノ丸にある明石松平家の霊社。祭神は徳川家康・松平直明・松平直常・豊受大神・金山彦大神。領主奉斎神社。
- 1682年(天和2年):3代松平直常が城内に徳川家康・直良・直明の霊を祀ったのが始まりという。山里曲輪にあったという。1682年(天和2年)は入城の年で直明在世中なので合わない。(兵庫県神社庁ウェブサイトほか)
- 1871年(明治4年):一般参拝解禁。(兵庫県神社庁ウェブサイト)
- 1886年(明治19年)3月:本丸跡に遷座し、社殿を造営。(『明石市史』[1])
- 1886年(明治19年)4月26日:明石神社と称した。(『明石市史』[2])
- 1886年(明治19年)9月26日:一説に護穀神社を合祀。(『明石市史』[3][4])
- 1890年(明治23年)1月9日:郷社に列格。(『明石市史』[5])
- 1898年(明治31年):明石城跡が宮内省用地となる。
- 1917年(大正6年):明石神社を上の丸山王神社の隣の現在地に遷座(『明石市史』[6])一説にこの時、護穀神社を合祀(明石の史跡)。遷座は1899年(明治32年)、1918年(大正7年)とも。