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都城護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*『新都城』「清露二役記念碑文」[https://dl.ndl.go.jp/pid/956083/1/39] | *『新都城』「清露二役記念碑文」[https://dl.ndl.go.jp/pid/956083/1/39] | ||
+ | *明治23年宮崎県訓令78号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[https://dl.ndl.go.jp/pid/788574/1/628] | ||
*明治25年宮崎県訓令147号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[https://dl.ndl.go.jp/pid/788573/1/222] | *明治25年宮崎県訓令147号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[https://dl.ndl.go.jp/pid/788573/1/222] | ||
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2023年1月13日 (金) 時点における版
都城護国神社は宮崎県都城市小松原町にあった招魂社。神柱宮の西側にあった。官祭招魂社。指定外護国神社。宮丸招魂社、都城招魂社。
1869年(明治2年)2月、島津久寛ら4人が創建。戊辰戦争で戦死した肥田景直ら12柱を祀った。明治7年10月、官祭となった。西南戦争の戦死者の古垣俊雄ら21柱を合祀した。(宮崎県案内記[1]) 1956年(昭和31年)10月2日、宗教法人を解散し、慰霊塔となった(『宮崎県政八十年史』[2]) 「招魂社のケヤキ」が残る。 「都城空襲犠牲者追悼碑」のあたりか。