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群児招魂社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月24日 (月)

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群児招魂社は山口県岩国市岩国にある[[招魂社]]。
群児招魂社は山口県岩国市岩国にある[[招魂社]]。
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==歴史==
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*慶応2年2月18日:岩国藩士の子供たちが伊勢ケ岡で焚き火をして火攻めの遊戯をしていたところ、火が広まり、8歳から14歳の16人が死亡。中でも刀の番をしていた8歳の山県幸輔は刀を守るためにその上に伏して死んだという。共にいた年長の14歳の4人は自刃しようとしたが思い止まった。
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*明治29年:30年忌にあたり池ケ迫で招魂祭を実施。
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*大正4年:素読寮有志により招魂社を創建。
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*昭和5年:社殿改修
==資料==
==資料==
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*「群児招魂碑」碑銘[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576269/1/68]
*1957『岩国市史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3022308/1/497]
*1957『岩国市史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3022308/1/497]
*1971『岩国市史』「招魂社・護国神社」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573356/1/241]
*1971『岩国市史』「招魂社・護国神社」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573356/1/241]

2023年7月24日 (月) 時点における最新版

群児招魂社は山口県岩国市岩国にある招魂社

歴史

  • 慶応2年2月18日:岩国藩士の子供たちが伊勢ケ岡で焚き火をして火攻めの遊戯をしていたところ、火が広まり、8歳から14歳の16人が死亡。中でも刀の番をしていた8歳の山県幸輔は刀を守るためにその上に伏して死んだという。共にいた年長の14歳の4人は自刃しようとしたが思い止まった。
  • 明治29年:30年忌にあたり池ケ迫で招魂祭を実施。
  • 大正4年:素読寮有志により招魂社を創建。
  • 昭和5年:社殿改修

資料

  • 「群児招魂碑」碑銘[1]
  • 1957『岩国市史』[2]
  • 1971『岩国市史』「招魂社・護国神社」[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%BE%A4%E5%85%90%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE」より作成

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