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忠義堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 高輪皇族邸(高輪御殿)は[[明治天皇]]第六皇女の昌子内親王と第七皇女の房子内親王の御所。日露戦争開戦後の1904年(明治37年)5月6月頃、戦没者の木牌を祀るようになり、その後、収めきれなくなったため、別に学問所の隅に祭壇を設けて忠魂帖を記して祀るようなった。結婚後の1909年(明治42年)7月に忠魂帖は[[靖国神社]]に納められた。(明治天皇御一代記[https://dl.ndl.go.jp/pid/946507/1/315]、明治卅七八年日露戦史[https://dl.ndl.go.jp/pid/774356/1/729]) | ||
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2023年8月1日 (火) 時点における版
忠義堂は東京都港区高輪の高輪皇族邸にあった戦没者を祀る祭壇。
高輪皇族邸(高輪御殿)は明治天皇第六皇女の昌子内親王と第七皇女の房子内親王の御所。日露戦争開戦後の1904年(明治37年)5月6月頃、戦没者の木牌を祀るようになり、その後、収めきれなくなったため、別に学問所の隅に祭壇を設けて忠魂帖を記して祀るようなった。結婚後の1909年(明治42年)7月に忠魂帖は靖国神社に納められた。(明治天皇御一代記[1]、明治卅七八年日露戦史[2])