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日樹墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月21日 (火)

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長野県飯田市羽場権現にある[[池上本門寺]]貫首の長遠院日樹の墓。元山白山神社のそば。日樹は1630年(寛永7年)の身池対論で敗れて信濃国伊那に流罪となった。1643年(寛永20年)に墓塔を建立。歴代から削除されたが、1931年(昭和6年)に復歴した。飯田市長源寺と池上古跡保存会が墓所を守っているという。
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長野県飯田市羽場権現にある、[[日蓮宗]][[池上本門寺]]貫首で[[不受不施]]を唱えた長遠院日樹(1574-1631)の墓。元山白山神社のそば。日樹は1630年(寛永7年)の身池対論で敗れて信濃国伊那に流罪となった。1643年(寛永20年)に墓塔を建立。歴代から削除されたが、1931年(昭和6年)に復歴した。飯田市長源寺と池上古跡保存会が墓所を守っているという。
[[Category:長野県]]
[[Category:長野県]]

2024年5月21日 (火) 時点における最新版

長野県飯田市羽場権現にある、日蓮宗池上本門寺貫首で不受不施を唱えた長遠院日樹(1574-1631)の墓。元山白山神社のそば。日樹は1630年(寛永7年)の身池対論で敗れて信濃国伊那に流罪となった。1643年(寛永20年)に墓塔を建立。歴代から削除されたが、1931年(昭和6年)に復歴した。飯田市長源寺と池上古跡保存会が墓所を守っているという。

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