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藤社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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藤社
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|style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''藤社'''<br>ふじ の やしろ
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|style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要
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|度会氏の祖神を祀る神社。山田の産土神社。坂社に合祀。
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|style="background-color:#ededed"|奉斎
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|彦国見賀岐建与束命など
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|style="background-color:#ededed"|所在地
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|(三重県伊勢市一志町)
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|style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡)
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|(伊勢国度会郡)
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|style="background-color:#ededed"|格式など
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|村社
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|style="background-color:#ededed"|関連記事
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*[[伊勢神宮関連旧跡]]
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*[[伊勢神宮所管神社]]
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34.48955, 136.702778, 藤社
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今の神馬休養所の北あたりにあったらしい。
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[[category:個別記事]]
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[[category:三重県]]
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==概要==
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伊勢国造天日別命の子の彦国見賀岐建与束命などを祀る。かつて外宮内にあった。神社の前に藤の木があったため、この名がついたという。外宮摂社度会国御神社の分社と言われ、もとは同社の鎮守であり、専女命を祭神にしたという説もある。明治4年11月、村社となる。明治6年6月、一志久保町・八日市場町からの請願により産土神として奉斎することとなり、遷座。このときは社殿はなく、御神体は黒石だったという。明治42年3月に近隣の神社3社を合祀。翌年9月14日に神殿を造営した。昭和20年に[[坂社]]に合祀。
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伊勢国造天日別命の子の彦国見賀岐建与束命(度会氏の祖神)などを祀る。かつて外宮内にあった。神社の前に藤の木があったため、この名がついたという。外宮摂社[[度会国御神社]]の分社と言われ、もとは同社の鎮守であり、専女命を祭神にしたという説もある。明治4年11月、村社となる。明治6年6月、一志久保町・八日市場町からの請願により産土神として奉斎することとなり、神苑の北御門あたりに遷座<ref>『宇治山田市史』の記述から考えると、『宇治山田市街全圖 神都』の北御門あたりの鳥居のマークが藤社だと思われる。</ref>。このときは社殿はなく、御神体は黒石だったという。明治42年3月に近隣の神社3社を合祀。翌年9月14日に神殿を造営した。昭和20年に[[坂社]]に合祀。
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『宇治山田市史』
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==画像==
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==参考文献==
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*『宇治山田市史』
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==脚注==
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2012年12月13日 (木) 時点における版

藤社

伊勢国造天日別命の子の彦国見賀岐建与束命などを祀る。かつて外宮内にあった。神社の前に藤の木があったため、この名がついたという。外宮摂社度会国御神社の分社と言われ、もとは同社の鎮守であり、専女命を祭神にしたという説もある。明治4年11月、村社となる。明治6年6月、一志久保町・八日市場町からの請願により産土神として奉斎することとなり、遷座。このときは社殿はなく、御神体は黒石だったという。明治42年3月に近隣の神社3社を合祀。翌年9月14日に神殿を造営した。昭和20年に坂社に合祀。

『宇治山田市史』

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%97%A4%E7%A4%BE」より作成

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