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出羽・四天王寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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元慶2年(878)には蝦夷の攻撃で、秋田城が焼亡した。 | 元慶2年(878)には蝦夷の攻撃で、秋田城が焼亡した。 | ||
昭和34年からの発掘調査で、秋田城跡から金堂・講堂・鐘楼・経蔵の跡が確認され、四天王寺跡である可能性が指摘されている。 | 昭和34年からの発掘調査で、秋田城跡から金堂・講堂・鐘楼・経蔵の跡が確認され、四天王寺跡である可能性が指摘されている。 | ||
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2017年10月1日 (日) 時点における版
四天王寺(してんのうじ)は、出羽国秋田郡(秋田県秋田市)の秋田城にあった古代寺院。聖徳太子建立四十六寺の一つ。廃絶。古四王神社別当。山号は亀甲山。(参考:同名寺院天王寺)
歴史
秋田城は天平5年(733)12月、出羽柵を秋田村の高清水岡に移したのが始まり(続日本紀)。翌年から本格的な造営が始まったとみられ、四天王寺も合わせて建てられたと推定される。 天長7年(830)の大地震で秋田城の官舎と共に倒壊(類聚国史)。 元慶2年(878)には蝦夷の攻撃で、秋田城が焼亡した。 昭和34年からの発掘調査で、秋田城跡から金堂・講堂・鐘楼・経蔵の跡が確認され、四天王寺跡である可能性が指摘されている。 平安時代中期以降は古四王神社の別当として存続。本山派修験の寺院となる。鎌倉時代、幕府の祈願所となる。 (国史大辞典、世界大百科事典、日本歴史地名大系)