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法華経寺智泉院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月25日 (土)
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(ページの作成:「'''智泉院'''は千葉県市川市中山にある日蓮宗寺院。法華経寺の子院。祈祷僧を養成する荒行堂(加行所)があった。単立...」)
(ページの作成:「'''智泉院'''は千葉県市川市中山にある日蓮宗寺院。法華経寺の子院。祈祷僧を養成する荒行堂(加行所)があった。単立...」)
2020年1月25日 (土) 時点における最新版
智泉院は千葉県市川市中山にある日蓮宗寺院。法華経寺の子院。祈祷僧を養成する荒行堂(加行所)があった。単立か。
歴史
法華経寺25世の行巌院日長が智泉院日住に命じて加行場を設置した。1644年(正保1年)に開設した。1841年(天保12年)10月、日啓と日尚が政変に巻き込まれて処分。行堂閉鎖となった。しかし、ひそかに活動はしていたらしい。1869年(明治2年)に加行を開いた記録があるが、1874年(明治7年)に火災で焼失し、読経堂のみ残して灰燼と帰した。1878年(明治11年)再建上棟式を行ったが、強風で倒壊した。
組織
歴代
- 7世智泉院日演():
- 10世智泉院日住(?-1663):1644年(正保1年)加行場を開設。弟子に経王院日経。
- 12世慈遠院日沾(?-1715):
- 20代守玄院日啓(1771-1842):徳川家斉の室のお美代の方をはじめ、大奥の帰依を得た。政変に巻き込まれて1841年(天保12年)10月遠島。
- 22代守孝院日尚():九重敷符を感得。1841年(天保12年)10月政変に巻き込まれて3日間晒の刑を受けた。
- 27代理妙院日良():