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ミャンマー仏教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月6日 (水)

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ミャンマー仏教。
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'''ミャンマー仏教'''は、ミャンマーに伝わる[[南伝仏教]]の一つ。
== 一覧 ==
== 一覧 ==
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*[[ネーピードー]]
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*[[ネピドー]]
**[[ウッパタサンティ寺院]]
**[[ウッパタサンティ寺院]]
*[[ヤンゴン]]
*[[ヤンゴン]]
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**[[シュエダゴン寺院]]:ミャンマー三大仏塔の一つ。高さ100mの塔など。
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**[[シュエダゴン寺院]]:ミャンマー三大仏塔の一つ。[[釈迦]]の髪を納める高さ100mの塔など。9000枚の純金の板で覆われている。、
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**[[カバーエー寺院]]
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**[[カバーエー寺院]]:世界平和仏塔
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**[[スーレー寺院]]
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**[[スーレー寺院]]:ヤンゴンの中心部にある。
**[[チャウタン寺院]]:街全体が寺院
**[[チャウタン寺院]]:街全体が寺院
**[[チャウッタージー寺院]]:寝釈迦
**[[チャウッタージー寺院]]:寝釈迦
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**[[ボータタウン寺院]]
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**[[ボータタウン寺院]]:釈迦の髪がある。
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**[[マハーパーサナグハ]]:1954年、第六回仏典結集。
*[[チャイティーヨー寺院]]:ミャンマー随一の巡礼地。
*[[チャイティーヨー寺院]]:ミャンマー随一の巡礼地。
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*[[バガン]]
+
*[[バガン]]:ビルマ人のパガン朝の首都。ミャンマー仏教の原点となる古都。6000近い仏塔がある。
**[[アーナンダ寺院]]
**[[アーナンダ寺院]]
**[[グービャウッジー寺院]]:[[大菩提寺]]を模したという。
**[[グービャウッジー寺院]]:[[大菩提寺]]を模したという。
**[[ゴドーパリーン寺院]]
**[[ゴドーパリーン寺院]]
**[[シュエグージー寺院]]:金色の塔がある。
**[[シュエグージー寺院]]:金色の塔がある。
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**[[スラマニ寺院]]:
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**[[シュエジゴン寺院]]:
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**[[スラマニ寺院]]:1181年、ナラパティスィートゥ王の創建。
**[[タビニュ寺院]]:バガンで最も高い塔がある。
**[[タビニュ寺院]]:バガンで最も高い塔がある。
**[[ダマヤンジー寺院]]
**[[ダマヤンジー寺院]]
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**[[バガンのシュエサンドー寺院]]
**[[バガンのシュエサンドー寺院]]
**[[ニャウンウーのシュエジーゴン寺院]]:
**[[ニャウンウーのシュエジーゴン寺院]]:
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*[[マンダレー]]
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**[[ポパー山]]:パガンの守護神マハーギリナッの聖地
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*[[マンダレー]]:コンバウン朝の首都。1857年建設開始、1860年遷都。
**[[チャウットージー寺院]]
**[[チャウットージー寺院]]
**[[マハムニ寺院]]:マハムニ仏を祀る
**[[マハムニ寺院]]:マハムニ仏を祀る
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*[[サガイン]]:サガイン朝の首都。マンダレー郊外にある。500以上の寺院がある。
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**[[ミングン寺院]]:ボードーパヤー王創建。
*[[タウンボッデー寺院]]:58万体の仏像がある。
*[[タウンボッデー寺院]]:58万体の仏像がある。
*[[ガウンセー島]]:島全体が寺院。釈迦の髪を納める
*[[ガウンセー島]]:島全体が寺院。釈迦の髪を納める
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*[[ピイのシュエサンドー寺院]]:ミャンマー三大仏塔の一つ
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*[[ピイ]]:ピュー人の発祥地とされる。ピエー、プロームともいう。玄奘の記録にも残る。大乗仏教も信仰された。
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*[[ミャウー]]
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**[[ピイのシュエサンドー寺院]]:ミャンマー三大仏塔の一つ。仏歯を納める。
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*[[タイェーキッタヤー]]:ピイ近郊にある。ピュー人の城郭遺跡。
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**[[ボーボーヂー寺院]]:ミャンマー最古の仏塔。高さ45m。6-7世紀。
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**[[パヤーヂー寺院]]:インド風寺院
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**[[パヤーマ寺院]]:インド風寺院
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*[[ミャウー]]:アラカン王国の首都。
**[[コウタウン寺院]]
**[[コウタウン寺院]]
**[[シッタウン寺院]]
**[[シッタウン寺院]]
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*[[バゴー]]
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*[[バゴー]]:ペグーとも。ペグー朝の首都。
**[[バゴーのシュエモードー寺院]]:ミャンマー三大仏塔の一つ。
**[[バゴーのシュエモードー寺院]]:ミャンマー三大仏塔の一つ。
**[[シュエターリャウン寺院]]
**[[シュエターリャウン寺院]]
**[[チャイプーン寺院]]
**[[チャイプーン寺院]]
**[[マハーゼディー寺院]]
**[[マハーゼディー寺院]]
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*[[パテインのシュエモードー寺院]]:アショーカ王が創建
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*[[パテインのシュエモードー寺院]]:[[アショーカ王]]が創建
*[[モンユワのシュエジーゴン寺院]]
*[[モンユワのシュエジーゴン寺院]]
*[[スータウンピー寺院]]:日本人とビルマ人の慰霊のため
*[[スータウンピー寺院]]:日本人とビルマ人の慰霊のため
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*[[ファウンドーウー寺院]]
*[[ファウンドーウー寺院]]
*[[ペイチンミャアウン 寺院]]
*[[ペイチンミャアウン 寺院]]
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*[[タトン]]:モン人のタトン王国の首都。パガンの仏教文化のルーツ。
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**[[シュエザヤン寺院]]:釈迦巡錫の旧跡とされる。仏歯を祀るとされる。
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*[[インワ]]:アヴァ朝の首都。アヴァとも。
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*モッタマ:マルタバン
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*ピンヤ:ピンヤ朝の首都
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*アマラプラ:コンバウン朝の首都。
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**チョウトーヂー寺院:1847年創建
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**マハーガンダヨン寺院:シュエージン派僧院。
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*タウングー:タウングー朝の首都
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*ミャタロン寺院:マグウェを代表する寺院。
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*[[タガウン]]
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*[[カックー遺跡]]:2000以上の仏塔が密集して林立する。
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*[[インディン遺跡]]:カックー遺跡に似ている。
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===国外===
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*世界平和パゴダ:北九州市
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==歴史==
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===パガン朝===
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===ピンヤ朝===
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===サガイン朝===
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===タウングー朝===
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===コンバウン朝===
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===イギリス植民地時代===
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===独立後===
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*1947年:独立憲法を公布。政教分離を定めた世俗国家ではあるが仏教に対し、「特別な名誉ある地位」を認める。
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*1950年:「仏教評議会」設置。
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*1951年:「サンガ裁判所法」制定。
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*1952年:「パーリ語教育法」制定。
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*1954年5月:第6回仏典結集。2年間続く。
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*1961年:改定憲法を公布。仏教を国教に規定。「仏教は最大多数の国民によって信仰されている宗教であるため国教である」とする。同年、「国教振興法」制定。
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*1965年:「仏教保護法」廃止。社会主義政権により仏教優遇を剥奪していく。
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*1973年:社会主義憲法、公布。仏教に関する全ての文言と規程を削除。しかし社会の実態と乖離。伝統的仏教から逸脱した宗教者の登場や出家者の不法商業活動などが横行。伝統的にサンガの成員は「市民的死亡者」であり、世俗の司法権が及ばないとされてきたため、政権にとっても、仏教界にとっても面目を保てなくなっていった。
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*1980年:「サンガ裁判所」復活。
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*1980年5月24日-27日:政府後援で仏教界主催の第1回「全宗派合同会議」を開催。「国家サンガ大長老会議」を設置し、既存9宗派を一元化。仏教界の自浄と社会の安定による政権の維持を目指した。政治権力と宗教権威の協調が図られた。しかしながら主導権は、宗教界ではなく政府にあった。
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*1990年10月20日:全宗派合同会議参加以外の僧侶集団を解散命じる。これを法制化した「サンガ組織法」が10月31日に制定。
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*1991年5月:宗教省に宗教布教推進局設置。国境地帯・辺境地帯の非仏教国民の仏教化支援に国費を投入。
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*1995年:第4回「全宗派合同会議」開催。
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*2006年:[[ネピドー]]に遷都。
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*2008年:新憲法公布。仏教に対し、「特別な名誉ある地位」を認めたのは独立憲法と同じだが、「宗教とは仏教、イスラーム教、キリスト教、ヒンドゥー教およびアニミズムを意味する」として「可能な限り援助し保護する」とし、他の既存宗教についても配慮した。仏教重視政策をとりながら、政権が仏教に一段と深く関与する方針を取った。仏教は政権を正統化する思想ではなくなっており、政教分離の世俗国家の中で、国民統合と政情安定の方向に向かって仏教の立ち位置がある。
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*2009年:ネピドーに[[シュエダゴン寺院]]を創建。
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*奥平龍二2014「現代ミャンマー世俗国家の特質について─新憲法(2008年)の「宗教関連条項」および「前文」を中心に」[https://doi.org/10.5512/sea.2014.43_69]
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==宗派==
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*[[ツーダンマ派]]:宗教会議派とも。第五回仏典結集に参加した宗派。
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*[[シュエジン派]]:シュエージン派。ビルマ人。
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*マハードワーヤ派:
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*ムーラドワーヤ派:
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*アナウチャウンドワーヤ派:
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*ウェルウン派:
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*フンゲトウィン:ゲトウィン派
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*ガナヴィムックドー派:
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*[[マハーイェン派]]:タイ仏教のタマユット派。マハーイン。
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*[[ラーマンニャ派]]:レーモンニャ派。モン人。
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*[[チョーティー派]]:
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[[category:ミャンマー連邦共和国|*]]
[[category:ミャンマー連邦共和国|*]]

2020年5月6日 (水) 時点における最新版

ミャンマー仏教は、ミャンマーに伝わる南伝仏教の一つ。

目次

一覧

国外

  • 世界平和パゴダ:北九州市

歴史

パガン朝

ピンヤ朝

サガイン朝

タウングー朝

コンバウン朝

イギリス植民地時代

独立後

  • 1947年:独立憲法を公布。政教分離を定めた世俗国家ではあるが仏教に対し、「特別な名誉ある地位」を認める。
  • 1950年:「仏教評議会」設置。
  • 1951年:「サンガ裁判所法」制定。
  • 1952年:「パーリ語教育法」制定。
  • 1954年5月:第6回仏典結集。2年間続く。
  • 1961年:改定憲法を公布。仏教を国教に規定。「仏教は最大多数の国民によって信仰されている宗教であるため国教である」とする。同年、「国教振興法」制定。
  • 1965年:「仏教保護法」廃止。社会主義政権により仏教優遇を剥奪していく。
  • 1973年:社会主義憲法、公布。仏教に関する全ての文言と規程を削除。しかし社会の実態と乖離。伝統的仏教から逸脱した宗教者の登場や出家者の不法商業活動などが横行。伝統的にサンガの成員は「市民的死亡者」であり、世俗の司法権が及ばないとされてきたため、政権にとっても、仏教界にとっても面目を保てなくなっていった。
  • 1980年:「サンガ裁判所」復活。
  • 1980年5月24日-27日:政府後援で仏教界主催の第1回「全宗派合同会議」を開催。「国家サンガ大長老会議」を設置し、既存9宗派を一元化。仏教界の自浄と社会の安定による政権の維持を目指した。政治権力と宗教権威の協調が図られた。しかしながら主導権は、宗教界ではなく政府にあった。
  • 1990年10月20日:全宗派合同会議参加以外の僧侶集団を解散命じる。これを法制化した「サンガ組織法」が10月31日に制定。
  • 1991年5月:宗教省に宗教布教推進局設置。国境地帯・辺境地帯の非仏教国民の仏教化支援に国費を投入。
  • 1995年:第4回「全宗派合同会議」開催。
  • 2006年:ネピドーに遷都。
  • 2008年:新憲法公布。仏教に対し、「特別な名誉ある地位」を認めたのは独立憲法と同じだが、「宗教とは仏教、イスラーム教、キリスト教、ヒンドゥー教およびアニミズムを意味する」として「可能な限り援助し保護する」とし、他の既存宗教についても配慮した。仏教重視政策をとりながら、政権が仏教に一段と深く関与する方針を取った。仏教は政権を正統化する思想ではなくなっており、政教分離の世俗国家の中で、国民統合と政情安定の方向に向かって仏教の立ち位置がある。
  • 2009年:ネピドーにシュエダゴン寺院を創建。


  • 奥平龍二2014「現代ミャンマー世俗国家の特質について─新憲法(2008年)の「宗教関連条項」および「前文」を中心に」[1]

宗派

  • ツーダンマ派:宗教会議派とも。第五回仏典結集に参加した宗派。
  • シュエジン派:シュエージン派。ビルマ人。
  • マハードワーヤ派:
  • ムーラドワーヤ派:
  • アナウチャウンドワーヤ派:
  • ウェルウン派:
  • フンゲトウィン:ゲトウィン派
  • ガナヴィムックドー派:
  • マハーイェン派:タイ仏教のタマユット派。マハーイン。


http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E4%BB%8F%E6%95%99」より作成

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