ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
神御殿寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年5月25日 (木)
(版間での差分)
(間の2版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
- | '''神御殿寺'''は[[元朝]] | + | '''神御殿寺'''は[[元朝]]の[[大都]](北京)で[[神御殿]]を備えた[[勅建寺院]]。神御殿は宗廟とは別個に皇帝皇族の御影を奉安する宮殿。パスパは皇族ではないが祀られている。 |
*[[大護国仁王寺]]:チャプイとノモガン | *[[大護国仁王寺]]:チャプイとノモガン | ||
- | *[[大聖寿万安寺]] | + | *[[大聖寿万安寺]]:[[クビライ]]と后、チンキムと后、アユルバルワダ |
- | *[[大興教寺]] | + | *[[大興教寺]]:[[パスパ]]と[[チンギスハン]] |
*[[大承華普慶寺]]:アユルバルワダと后、チンギスハン、オゴデイ、トルイ、ダギ、ダルマバラと后 | *[[大承華普慶寺]]:アユルバルワダと后、チンギスハン、オゴデイ、トルイ、ダギ、ダルマバラと后 | ||
*[[大天寿万寧寺]]:テムルと后 | *[[大天寿万寧寺]]:テムルと后 | ||
13行: | 13行: | ||
==資料== | ==資料== | ||
*中村淳1997「元代大都の勅建寺院とチベット仏教」『クビライとパクパ―宗教教団を通じたモンゴルの中国支配の実態解明に向けて』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3128794/1/141] | *中村淳1997「元代大都の勅建寺院とチベット仏教」『クビライとパクパ―宗教教団を通じたモンゴルの中国支配の実態解明に向けて』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3128794/1/141] | ||
- | *中村淳1999「元代大都の勅建寺院をめぐって」[ https://doi.org/10.14989/155243] | + | *中村淳1999「元代大都の勅建寺院をめぐって」[https://doi.org/10.14989/155243] |
*中村淳2013「元代大都勅建寺院の寺産―大護国仁王寺を中心として」[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33028/] | *中村淳2013「元代大都勅建寺院の寺産―大護国仁王寺を中心として」[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33028/] | ||
[[category:系譜記事]] | [[category:系譜記事]] | ||
+ | [[category:中華人民共和国北京市]] |
2023年5月25日 (木) 時点における最新版
神御殿寺は元朝の大都(北京)で神御殿を備えた勅建寺院。神御殿は宗廟とは別個に皇帝皇族の御影を奉安する宮殿。パスパは皇族ではないが祀られている。
- 大護国仁王寺:チャプイとノモガン
- 大聖寿万安寺:クビライと后、チンキムと后、アユルバルワダ
- 大興教寺:パスパとチンギスハン
- 大承華普慶寺:アユルバルワダと后、チンギスハン、オゴデイ、トルイ、ダギ、ダルマバラと后
- 大天寿万寧寺:テムルと后
- 大崇恩福元寺:カイシャンとその二人の后
- 大永福寺:ダルマバラ、カマラ、シディバラと后
- 大天源延聖寺:カマラ、カシラと后
- 大承天護聖寺:トクテムルと后
資料
- 中村淳1997「元代大都の勅建寺院とチベット仏教」『クビライとパクパ―宗教教団を通じたモンゴルの中国支配の実態解明に向けて』[1]
- 中村淳1999「元代大都の勅建寺院をめぐって」[2]
- 中村淳2013「元代大都勅建寺院の寺産―大護国仁王寺を中心として」[3]