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本道宣布会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年3月9日 (月)
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| + | ==歴史== | ||
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| + | *1920年(大正9年)初夏:栃木県宇都宮市西原町の松川勇、「触霊者」の本田亀次とともに「霊道術」を始める。ある時、静岡に住む友清九吾(友清歓真。のちの[[神道天行居]]創設者)を招くように託宣。 | ||
| + | *1920年(大正9年)10月26日:友清九吾が松川邸を訪問。この時、九鬼盛隆も同行し、滞在5日、神詔を聞くこと10回。九鬼盛隆、「大神業」であることを確信する[https://dl.ndl.go.jp/pid/917544/1/6]。神勅により、本田亀次が松川邸から九鬼盛隆のもとに移る。 | ||
| + | *1920年(大正9年)11月:麻布区狸穴町に仮神殿を造営。 | ||
| + | *1920年(大正9年)12月1日:青戸浪江から式作法の指導を受けて御霊を招く。 | ||
| + | *1921年(大正10年)2月15日:本田亀次に「事故」があり、事業を中止。 | ||
| + | *1923年(大正12年)1月:本田亀次と再会。 | ||
| + | *1923年(大正12年)2月8日:四谷区坂町に道場と仮神殿設置[https://dl.ndl.go.jp/pid/917544/1/9]。 | ||
| + | *1923年(大正12年)5月:本道宣布会設立。 | ||
| + | *1925年(大正14年)4月頃:友清歓真と離反[https://dl.ndl.go.jp/pid/12611290/1/183]。 | ||
| + | *1926年(大正15年):この年発行の『朝日年鑑 大正16年』には「東京府下目黒町上目黒」とある[https://dl.ndl.go.jp/pid/976131/1/175]。 | ||
| + | *1926年(大正15年):この頃、九鬼盛隆、検挙される[https://dl.ndl.go.jp/pid/1523472/1/37]。 | ||
| + | *1926年(大正15年)9月5日:本田亀次、本道宣布会から離脱して惟神本道教団を東京府中野区本町通りに設立[https://dl.ndl.go.jp/pid/11928494/1/200]。 | ||
| + | *1947年(昭和22年)5月6日:宗教法人として設立登記。既に神奈川県大和町下鶴間に移転か。 | ||
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*九鬼盛隆1925『宇宙の統一神示小説』2版[https://dl.ndl.go.jp/pid/913987] | *九鬼盛隆1925『宇宙の統一神示小説』2版[https://dl.ndl.go.jp/pid/913987] | ||
*九鬼盛隆講述1929『筮法詳解』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1104433] | *九鬼盛隆講述1929『筮法詳解』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1104433] | ||
| - | * | + | *九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』春(巻1・2)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1101358] |
| - | * | + | *九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』夏(巻3・4)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1103641] |
| - | * | + | *九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』秋(巻5・6)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1104211] |
| - | * | + | *九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』冬(巻7・8)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1102559] |
| + | *九鬼盛隆1975『惟神本道』本道宣布会[https://dl.ndl.go.jp/pid/12267194] | ||
*1926「怪行者九鬼盛隆」『變態心理』97[https://dl.ndl.go.jp/pid/1523472/1/37] | *1926「怪行者九鬼盛隆」『變態心理』97[https://dl.ndl.go.jp/pid/1523472/1/37] | ||
| - | *文部省 編1954『宗教便覧』法政大学出版局[https://dl.ndl.go.jp/pid/2939628/1/75]:「(68) 本道宣布会①本部 神奈川県高座郡大和町下鶴間4320② 神司長 | + | *文部省 編1954『宗教便覧』法政大学出版局[https://dl.ndl.go.jp/pid/2939628/1/75]:「(68) 本道宣布会①本部 神奈川県高座郡大和町下鶴間4320② 神司長 九鬼里江③本数は、教祖と仰ぐ故九鬼盛隆が、大正12年創唱するところに係る。その後、社会情勢によって活動休止の状態に在ったが、終戦後、更生し、22.5.6宗教法人として設立登記した。④ 惟神本道を宣揚実践し、誤れる風教を匡正し、真善美の神園を地上に顕現するのを目的とし、天照大神・天神地祇八百万神を奉斎する。天津大神の神示として「三つの誓言」「八条の教典」が、天恩包(おもいかね)大神の神訓として「十条の箴言」があって、教旨を布衍している。⑤ 大祭(春秋二季)・大祓え斎事(6.12月)・地鎮祭・上棟式・鎮魂帰神・月次祭(毎月12日)・冠婚葬祭式・星祭・慰霊祭・祈禱・宅神祭・加持・禁厭・神占。⑥ (本部) 司教長。」 |
*金井南竜1980『神々の黙示録』徳間書店 | *金井南竜1980『神々の黙示録』徳間書店 | ||
| - | *津城寛文1990『鎮魂行法論ー近代神道世界の霊魂論と身体論』春秋社[https://dl.ndl.go.jp/pid/13283182/1/207] | + | *津城寛文1990『鎮魂行法論ー近代神道世界の霊魂論と身体論』春秋社[https://dl.ndl.go.jp/pid/13283182/1/207]:「この九鬼との共働に関しては、興味深い逸話が伝えられている。大正九年九月、宇都宮在住の心霊研究家・松川菜が霊媒・本田亀次を通して得ていた神示の中に、静岡在住の友清九吾なる者を呼ぶように、との指示がでた。未知の人物であったがともかく指示どおりの住所へ手紙をだすと、その依頼に返事が来て、友清はただちに宇都宮にいたる。そこで多数の帰神を執行していると、今度は同霊媒の帰神を通じて、「東京在住の九鬼盛隆なる者をこの神懸かりの席に参列せしめよ」との神示が出る。それにしたがって友清が九鬼を連れてきて、帰神式をともに執行し、その神示の内容を検討し、真正の神霊であることを確認したという。なお、友清と九鬼はこの後袂を分かち、九鬼は大正一二年にいたり自ら本道宣布会を設立している。」とある。 |
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2026年3月9日 (月) 時点における最新版
本道宣布会は神奈川県大和市中央林間4丁目にある古神道系団体。皇神乃宮という神社があるようだ。
歴史
- 1920年(大正9年)初夏:栃木県宇都宮市西原町の松川勇、「触霊者」の本田亀次とともに「霊道術」を始める。ある時、静岡に住む友清九吾(友清歓真。のちの神道天行居創設者)を招くように託宣。
- 1920年(大正9年)10月26日:友清九吾が松川邸を訪問。この時、九鬼盛隆も同行し、滞在5日、神詔を聞くこと10回。九鬼盛隆、「大神業」であることを確信する[1]。神勅により、本田亀次が松川邸から九鬼盛隆のもとに移る。
- 1920年(大正9年)11月:麻布区狸穴町に仮神殿を造営。
- 1920年(大正9年)12月1日:青戸浪江から式作法の指導を受けて御霊を招く。
- 1921年(大正10年)2月15日:本田亀次に「事故」があり、事業を中止。
- 1923年(大正12年)1月:本田亀次と再会。
- 1923年(大正12年)2月8日:四谷区坂町に道場と仮神殿設置[2]。
- 1923年(大正12年)5月:本道宣布会設立。
- 1925年(大正14年)4月頃:友清歓真と離反[3]。
- 1926年(大正15年):この年発行の『朝日年鑑 大正16年』には「東京府下目黒町上目黒」とある[4]。
- 1926年(大正15年):この頃、九鬼盛隆、検挙される[5]。
- 1926年(大正15年)9月5日:本田亀次、本道宣布会から離脱して惟神本道教団を東京府中野区本町通りに設立[6]。
- 1947年(昭和22年)5月6日:宗教法人として設立登記。既に神奈川県大和町下鶴間に移転か。
資料
- 根本通明述・九鬼盛隆編1910『周易講義』巻3[7]
- 根本通明述・九鬼盛隆編1910『周易講義』巻4[8]
- 九鬼盛隆1913『米株易占』[9]
- 九鬼盛隆1923『本道』[10]
- 九鬼盛隆1925『宇宙の統一神示小説』2版[11]
- 九鬼盛隆講述1929『筮法詳解』[12]
- 九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』春(巻1・2)[13]
- 九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』夏(巻3・4)[14]
- 九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』秋(巻5・6)[15]
- 九鬼盛隆1932『断易精蘊ー鬼谷古法』冬(巻7・8)[16]
- 九鬼盛隆1975『惟神本道』本道宣布会[17]
- 1926「怪行者九鬼盛隆」『變態心理』97[18]
- 文部省 編1954『宗教便覧』法政大学出版局[19]:「(68) 本道宣布会①本部 神奈川県高座郡大和町下鶴間4320② 神司長 九鬼里江③本数は、教祖と仰ぐ故九鬼盛隆が、大正12年創唱するところに係る。その後、社会情勢によって活動休止の状態に在ったが、終戦後、更生し、22.5.6宗教法人として設立登記した。④ 惟神本道を宣揚実践し、誤れる風教を匡正し、真善美の神園を地上に顕現するのを目的とし、天照大神・天神地祇八百万神を奉斎する。天津大神の神示として「三つの誓言」「八条の教典」が、天恩包(おもいかね)大神の神訓として「十条の箴言」があって、教旨を布衍している。⑤ 大祭(春秋二季)・大祓え斎事(6.12月)・地鎮祭・上棟式・鎮魂帰神・月次祭(毎月12日)・冠婚葬祭式・星祭・慰霊祭・祈禱・宅神祭・加持・禁厭・神占。⑥ (本部) 司教長。」
- 金井南竜1980『神々の黙示録』徳間書店
- 津城寛文1990『鎮魂行法論ー近代神道世界の霊魂論と身体論』春秋社[20]:「この九鬼との共働に関しては、興味深い逸話が伝えられている。大正九年九月、宇都宮在住の心霊研究家・松川菜が霊媒・本田亀次を通して得ていた神示の中に、静岡在住の友清九吾なる者を呼ぶように、との指示がでた。未知の人物であったがともかく指示どおりの住所へ手紙をだすと、その依頼に返事が来て、友清はただちに宇都宮にいたる。そこで多数の帰神を執行していると、今度は同霊媒の帰神を通じて、「東京在住の九鬼盛隆なる者をこの神懸かりの席に参列せしめよ」との神示が出る。それにしたがって友清が九鬼を連れてきて、帰神式をともに執行し、その神示の内容を検討し、真正の神霊であることを確認したという。なお、友清と九鬼はこの後袂を分かち、九鬼は大正一二年にいたり自ら本道宣布会を設立している。」とある。