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伊予・宝厳寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月14日 (土)
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- | '''宝厳寺''' | + | '''宝厳寺'''(ほうごんじ)は、愛媛県松山市道後湯月町奥谷(伊予国温泉郡)の[[一遍]]生誕地とされる[[時宗]]寺院。かつての[[時宗奥谷派]]の拠点寺院。出家した父'''河野通広'''(如仏)が隠棲していた。一遍の[[生誕地]]とされるが別説もある。'''遍照院'''。旧称は'''誓願院'''。'''奥谷道場'''。山号は豊国山。(参考:同名寺院[[宝厳寺]]) |
+ | == 歴史 == | ||
+ | 飛鳥時代に河野守興が創建した誓願院が前身と伝える。天台宗だった。 | ||
+ | 一遍はこの地で生まれたという。 | ||
+ | 1292年、仙阿は故郷に帰り時宗寺院としたという。 | ||
+ | 1334年、得能通綱が「一遍上人御誕生旧跡碑」を建立。 | ||
+ | 1344年、遊行上人7世託阿が滞在し、遊行派に帰参。 | ||
+ | 1926年、得能通綱の石碑を境内に移転。 | ||
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+ | (『日本歴史地名大系』) | ||
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+ | *1[[一遍]](1234-1289): | ||
+ | *2仙阿(生没年不詳):経歴不詳。一遍の弟という。聖戒の兄とも弟ともいう。心阿、無智とも。伊豆房。 | ||
+ | *3珍一(?-1344):尼僧。遊行上人7世託阿に帰依。遊行派に帰参。1344年(興国5年/康永3年)6月26日(20日とも)死去。 | ||
+ | *明誉()<>:1392年(明徳3年)在職。 | ||
+ | *其阿()<>:1475年(文明7年)一遍像を修復。連歌で活躍。時には上京していたらしい。 | ||
+ | *賢阿()<>:1662年(寛文2年)在職。 | ||
+ | *楽誉()<>:1710年(宝永7年)在職。 | ||
+ | *縁応()<>:1759年(宝暦9年)在職。 | ||
+ | *真法()<>:1774年(安永3年)在職。 | ||
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2021年8月14日 (土) 時点における最新版
宝厳寺(ほうごんじ)は、愛媛県松山市道後湯月町奥谷(伊予国温泉郡)の一遍生誕地とされる時宗寺院。かつての時宗奥谷派の拠点寺院。出家した父河野通広(如仏)が隠棲していた。一遍の生誕地とされるが別説もある。遍照院。旧称は誓願院。奥谷道場。山号は豊国山。(参考:同名寺院宝厳寺)
目次 |
歴史
飛鳥時代に河野守興が創建した誓願院が前身と伝える。天台宗だった。 一遍はこの地で生まれたという。 1292年、仙阿は故郷に帰り時宗寺院としたという。 1334年、得能通綱が「一遍上人御誕生旧跡碑」を建立。 1344年、遊行上人7世託阿が滞在し、遊行派に帰参。 1926年、得能通綱の石碑を境内に移転。
(『日本歴史地名大系』)
子院
- 法雲院:
- 善成院:
- 興安院:
- 医王院:
- 林光庵:
組織
住職
- 1一遍(1234-1289):
- 2仙阿(生没年不詳):経歴不詳。一遍の弟という。聖戒の兄とも弟ともいう。心阿、無智とも。伊豆房。
- 3珍一(?-1344):尼僧。遊行上人7世託阿に帰依。遊行派に帰参。1344年(興国5年/康永3年)6月26日(20日とも)死去。
- 明誉()<>:1392年(明徳3年)在職。
- 其阿()<>:1475年(文明7年)一遍像を修復。連歌で活躍。時には上京していたらしい。
- 賢阿()<>:1662年(寛文2年)在職。
- 楽誉()<>:1710年(宝永7年)在職。
- 縁応()<>:1759年(宝暦9年)在職。
- 真法()<>:1774年(安永3年)在職。