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大慈院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月12日 (日)
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2023年11月12日 (日) 時点における最新版
大慈院(だいじいん)は、京都府京都市上京区の宝鏡寺門跡にあった院家級寺院。中世には尼門跡(比丘尼御所)だったが、江戸時代には宝鏡寺に取り込まれ、門跡扱いはされていない。明治維新で宝鏡寺に合併して廃絶。宝鏡寺は臨済宗だが、大慈院は浄土宗。塔頭に恵聖院(瑞華院)があった。通称は南御所、御沙弥御所。
目次 |
歴史
崇賢門院仲子(1339-1427)が創建。あるいは夢窓疎石が創建ともいう(『山州名跡志』)。
北山殿の中に創建され、のち二条富小路に移転。応仁の乱後には現在地にあった(『国史大事典』)。 中世には如導派で、五辻・長福寺の末寺だった。195石。
塔頭の恵聖院と瑞華院は同一寺院で、住職が広橋家の時は恵聖院と称し、日野家の時は瑞華院と称したという(「浄土宗寺院調書」)。恵聖院は1961年(昭和36年)、光照院門跡内に移転(『日本歴史地名大系』)。
組織
住職
- 崇賢門院(1339-1427):本願開基。広橋兼綱の娘。後円融天皇の生母。
- 雲嶽真高(1369-1419):開基。足利義満の室。日野資康の娘。北山院の名で知られる。後小松天皇准母の号を持つ。
- (不明):後円融天皇皇女。
- 栄山聖久(1395-1433):足利義満の娘。雲嶽真高の猶子。崇賢門院猶子。喝食御所と呼ばれた。
- 聖紹():足利義満の娘。
- 栄山聖芳:広橘兼宣の娘。
- (不明)(1429-1431):足利義教の娘。
- (不明):足利義持の娘。
- 明山(?-1465):足利義持の娘。
- 宗山真栄女王(1414-1453):伏見宮治仁王の王女。岡殿。(『日本人名大辞典』。『中世後期泉涌寺の研究』には後崇光院皇女の「明山真栄」。別人か)
- 慶山(?-1496):足利義政室。日野富子として知られる。(『日本人名大辞典』には1495年死去とある。)
- 光山聖俊(?-1505):足利義政の娘。
- 光山覚音女王(1506-?):後柏原天皇皇女。岡殿。(『日本人名大辞典』)
- (不明):一条兼良の娘。
- 渓山理秀女王(1489-1532):御土御門天皇皇女。理琇。日野富子養女。宝鏡寺。(『日本人名大辞典』。『中世後期泉涌寺の研究では1543年没の「渓山」として記す)
- 伝山性賢(?-1577):足利義輝の娘。総持院、宝鏡寺。
- 華庵理栄(?-1594):足利義植の娘。
- 耀山(?-1618):足利義輝の娘。宝鏡寺。
- 玉山理光(?-1681):鷹司信房の娘。耀山の弟子。本務は宝鏡寺。
- 久巌理昌女王(1631-1656):後水尾天皇皇女。本務は宝鏡寺。
- 義山理忠女王(1641-1689):後水尾天皇皇女。本務は宝鏡寺。
- 徳巌理豊女王(1672-1745):後西天皇皇女。本務は宝鏡寺。
- 逸巌理秀女王(1725-1764):中御門天皇皇女。本務は宝鏡寺。
- 雲巌理欽内親王(1824-1842):光格天皇皇女。蓁子内親王。本務は宝鏡寺。
(『中世後期泉涌寺の研究』)