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江良神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*1870年(明治3年)9月23日:防長最初の合同慰霊祭を実施。藩庁県庁所在地にあったため、招魂社の総社のように扱われた。 | *1870年(明治3年)9月23日:防長最初の合同慰霊祭を実施。藩庁県庁所在地にあったため、招魂社の総社のように扱われた。 | ||
*1874年(明治7年):江良招魂社と称する | *1874年(明治7年):江良招魂社と称する | ||
- | *1875年(明治8年) | + | *1875年(明治8年)6月:官祭招魂社 |
+ | *1939年(昭和14年)4月:護国神社制度により江良護国神社と改称。 | ||
+ | *1941年(昭和16年):近くに山口県護国神社創建 | ||
+ | *1947年(昭和22年)2月28日:江良神社と改称 | ||
+ | *1955年(昭和30年)9月13日:仁壁神社境内に遷座。 | ||
+ | *1962年(昭和37年)10月13日:旧鎮座地に防長英霊塔を建立。 | ||
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==祭神== | ==祭神== |
2023年7月20日 (木) 時点における版
江良神社は山口県山口市三の宮にある招魂社。仁壁神社内。官祭招魂社。指定外護国神社。江良招魂社、江良招魂場、宮野下招魂社、江良護国神社。
江良官修墳墓がある?
- 1867年(慶応3年)5月:藩主毛利敬親の命で代官の大津唯雪が、山口宰判の管内の戦死者を祀るために現山口市江良に開設。四境戦争と戊辰戦争の戦死者9柱を祀ったという。
- 1870年(明治3年)9月23日:防長最初の合同慰霊祭を実施。藩庁県庁所在地にあったため、招魂社の総社のように扱われた。
- 1874年(明治7年):江良招魂社と称する
- 1875年(明治8年)6月:官祭招魂社
- 1939年(昭和14年)4月:護国神社制度により江良護国神社と改称。
- 1941年(昭和16年):近くに山口県護国神社創建
- 1947年(昭和22年)2月28日:江良神社と改称
- 1955年(昭和30年)9月13日:仁壁神社境内に遷座。
- 1962年(昭和37年)10月13日:旧鎮座地に防長英霊塔を建立。
祭神
- 1田代三之進
- 2平野光次郎:贈正五位。
- 3原川助右衛門
- 4好兵衛
- 5山県芳輔
- 6依義帰忠
- 7柴田平助
- 8佐伯武次郎:下松招魂社私祭祭神。
- 9渡辺義輔
資料
- 1936『山口史蹟概覧』「江良招魂社祭神」[1]
- 津田勉2009「県内二十二の官祭招魂社」『山口県神道史研究』21