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花蓮県忠烈祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 花蓮県の忠烈祠。入祀烈士は362員である(2010年現在。資料B)。鄭成功、劉永福、邱逢甲なども祀られている。戦後の民国35年(1946年)(資料B)、植民地時代の県社[[花蓮港神社]]の跡地に社殿を流用して創建された。民国69年(1980年)に中国宮殿式建築に改築した。花蓮市中心部の美侖山南麓に位置する。南東に伸びる幹線道路のドン突きにあり、参道と軸を一にしている。地方政府管理の忠烈祠のなかでは中型のものである。正殿のほか脇殿と正門がある。脇殿は左を仰仁殿、右を崇徳殿という。 | ||
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+ | (資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[http://afrc.mnd.gov.tw/martyr/](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」) | ||
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ファイル:Karen_churetsushi_001.jpg|花蓮県忠烈祠 | ファイル:Karen_churetsushi_001.jpg|花蓮県忠烈祠 | ||
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2011年6月8日 (水) 時点における版
花蓮県の忠烈祠。入祀烈士は362員である(2010年現在。資料B)。鄭成功、劉永福、邱逢甲なども祀られている。戦後の民国35年(1946年)(資料B)、植民地時代の県社花蓮港神社の跡地に社殿を流用して創建された。民国69年(1980年)に中国宮殿式建築に改築した。花蓮市中心部の美侖山南麓に位置する。南東に伸びる幹線道路のドン突きにあり、参道と軸を一にしている。地方政府管理の忠烈祠のなかでは中型のものである。正殿のほか脇殿と正門がある。脇殿は左を仰仁殿、右を崇徳殿という。
(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[1](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」)