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サムハラ神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月10日 (金)
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2021年12月10日 (金) 時点における最新版
サムハラ神社 さむはら じんじゃ | |
概要 | サムハラ信仰に基づく神社。 |
奉斎 | 天御中主大神・高産巣日大神・神産巣日大神(「由来」) |
所在地 | 大阪府大阪市西区立売堀2-5-26 |
所属(現在) | 単立 |
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目次 |
概要
サムハラ信仰に基づく神社である。
祭神は造化三神をサムハラ大神として祀っているようである。
「サムハラ」とは古くよりある呪文の一つで、この文字を書かれたものを御守として身に着けておくと災難を逃れられるとされてきた。特に近代以降、弾丸除けの御守として出征する兵士の信仰を得た。
当社の創建は不詳。美作加茂の一期谷に「サムハラ様」を祀る小祠が古くから祀られていた。当地出身の田中富三郎は日露戦争に御用商人として従軍したところ、常陸丸事件、鉄嶺丸事件、二〇三高地の戦いに遭遇しつつも助かった。このことは、持参していた「サムハラ様」のお守りの神徳として、万人に広めることを志したという。1934年(昭和9年)、地元の「サムハラ様」の小祠の復興を計画して、「信光会」を設立した(『新宗教事典』では1932年(昭和7年)に「サムハラ信光会」を設立し、翌年5月に金刀比羅神社内にサムハラ聖殿を建立したとある。)。1935年(昭和10年)4月、「聖殿」として再建した。合わせて自費にてお守りを制作し頒布した。
しかし、1936年(昭和11年)、岡山県当局より「無願社寺創立禁制」に違反しているとの疑いで撤去が命じられ、さらにそれを利用した広告を作成することを禁止された[1]。一方で田中富三郎は、戦時中も出征する兵士に御守を頒布する活動を続けていたという。
戦後、1946年(昭和21年)美作加茂の中原868番地2に聖殿を再建。ついで1950年(昭和25年)11月15日、中之島の大阪豊国神社の隣接地に「サムハラ神社」を創建。美作加茂の聖殿は当社の奥の宮とした。2005年(平成17年)金刀比羅神社の隣接地に「奥殿」を遷座した。
1961年(昭和36年)、大阪市市役所庁舎増築に当り、中之島の「サムハラ神社」を現在地に遷座した。
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参考文献
- 「宗教法人『サムハラ神社』由来」
- 『新宗教事典』
- 『新宗教教団・人物事典』
脚注
- ↑ 『新宗教事典』499頁。