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笠松神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[長門中山神社]]や[[赤妻神社]]と異なり[[招魂社]]扱いはされなかった。 | [[長門中山神社]]や[[赤妻神社]]と異なり[[招魂社]]扱いはされなかった。 | ||
==歴史== | ==歴史== | ||
- | * | + | *1858年(安政5年)6月:江戸当役となり、山口藩政の事実上のトップとなる。 |
- | * | + | *1864年(元治1年)7月17日:禁門の変を起こす |
- | *11月11日:益田親施、禁門の変の責を取り徳山総持院で自刃。 | + | *1864年(元治1年)11月11日:益田親施、禁門の変の責を取り徳山総持院で自刃。 |
- | * | + | *1865年(慶応1年)2月8日:須佐では益田親施を高正大明神として奉斎 |
- | *6月15日:藩主、益田親施を赦免 | + | *1865年(慶応1年)6月15日:藩主、益田親施を赦免 |
- | *8月6日:社殿建立 | + | *1865年(慶応1年)8月6日:社殿建立 |
- | * | + | *1888年(明治21年)5月5日:益田親施を[[靖国神社]]に合祀? |
- | * | + | *1889年(明治22年)10月:[[萩東光寺]]に招魂墓建立。 |
- | * | + | *1891年(明治24年)4月8日:贈正四位。 |
- | * | + | *1900年(明治33年)5月9日:長男を[[華族]]に列し男爵とする。 |
*益田親施表忠碑 | *益田親施表忠碑 |
2023年7月24日 (月) 時点における版
笠松神社(かさまつ・じんじゃ)は、山口県萩市須佐(長門国阿武郡)にある、自刃した山口藩家老益田親施を(1833-1864)祀る霊社。家祖益田元祥も配祀するという(『日本歴史地名大系』)。社格は不明。 長門中山神社や赤妻神社と異なり招魂社扱いはされなかった。
歴史
- 1858年(安政5年)6月:江戸当役となり、山口藩政の事実上のトップとなる。
- 1864年(元治1年)7月17日:禁門の変を起こす
- 1864年(元治1年)11月11日:益田親施、禁門の変の責を取り徳山総持院で自刃。
- 1865年(慶応1年)2月8日:須佐では益田親施を高正大明神として奉斎
- 1865年(慶応1年)6月15日:藩主、益田親施を赦免
- 1865年(慶応1年)8月6日:社殿建立
- 1888年(明治21年)5月5日:益田親施を靖国神社に合祀?
- 1889年(明治22年)10月:萩東光寺に招魂墓建立。
- 1891年(明治24年)4月8日:贈正四位。
- 1900年(明治33年)5月9日:長男を華族に列し男爵とする。
- 益田親施表忠碑
- 『益田右衛門介親施』[1]