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扶余・定林寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''定林寺'''(チョンニムサ)は、韓国忠清南道扶余郡[[扶余邑]] | + | '''定林寺'''(チョンニムサ)は、韓国忠清南道扶余郡[[扶余邑]]東南里にあった[[朝鮮仏教|仏教]]寺院。廃絶。定林寺の名は、出土した瓦にある高麗時代の名称による。(参考:同名寺院[[定林寺]]) |
南北一直線に講堂、金堂、五層石塔、中門と並び、回廊があった。百済が唐と新羅に滅ぼされた時、五層石塔は平定の記念碑に改刻され、現存する。講堂跡に高麗時代の丈六石仏がある。 | 南北一直線に講堂、金堂、五層石塔、中門と並び、回廊があった。百済が唐と新羅に滅ぼされた時、五層石塔は平定の記念碑に改刻され、現存する。講堂跡に高麗時代の丈六石仏がある。 |
2023年8月14日 (月) 時点における版
定林寺(チョンニムサ)は、韓国忠清南道扶余郡扶余邑東南里にあった仏教寺院。廃絶。定林寺の名は、出土した瓦にある高麗時代の名称による。(参考:同名寺院定林寺)
南北一直線に講堂、金堂、五層石塔、中門と並び、回廊があった。百済が唐と新羅に滅ぼされた時、五層石塔は平定の記念碑に改刻され、現存する。講堂跡に高麗時代の丈六石仏がある。