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屏東県忠烈祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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(ページの作成:「屏東県の忠烈祠。入祀烈士は160員である(2010年現在。資料B)。戦後、植民地時代の県社阿〓神社の跡地に社殿を流用して創...」)
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2011年6月8日 (水) 時点における版
屏東県の忠烈祠。入祀烈士は160員である(2010年現在。資料B)。戦後、植民地時代の県社阿〓神社の跡地に社殿を流用して創建された。民国56年(1967年)に現在地に遷座し、現在の殿宇を造営した。旧地は中山公園体育場となっている。
屏東市の市街地に位置する。敷地の関係から正門と正殿の軸線が曲がっており、また正殿が樹木に埋もれており、また隣接するホテルが目立つため、忠烈祠はあまり目立たない状態となっている。地方政府管理の忠烈祠のなかでは中型のものである。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。春祭には黄帝陵遥祭も合わせて行われている(資料E)。
(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[1](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」、資料D:蔡栄任2001『一種傅科権力技術的歴史性建構―従台湾日治時期神社到戦後忠烈祠』、資料E:屏東県政府ウェブサイト『屏東新聞』「99年春祭国殤及遙祭黄帝陵典礼」[2])