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瑞光寺 - SHINDEN

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瑞光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(ページの作成:「草山律の拠点寺院。明暦元年(1655)、元政が称心庵として創建。寛文元年(1661)、瑞光寺と改称する。 元政は親孝行に勤めた...」)
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草山律の拠点寺院。明暦元年(1655)、元政が称心庵として創建。寛文元年(1661)、瑞光寺と改称する。
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[[日蓮宗草山派|草山律]]の拠点寺院。明暦元年(1655)、元政が称心庵として創建。寛文元年(1661)、瑞光寺と改称する。
元政は親孝行に勤めたことで知られ、33歳のとき、父親の遺骨を携えて、母とともに身延山に参り、納骨したという。
元政は親孝行に勤めたことで知られ、33歳のとき、父親の遺骨を携えて、母とともに身延山に参り、納骨したという。
瑞光寺には「不許酒肉五辛入門」の碑を建て、法華経と戒律を尊守する清貧の生活を送った。
瑞光寺には「不許酒肉五辛入門」の碑を建て、法華経と戒律を尊守する清貧の生活を送った。
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寛文8年(1668)、元政死去。孝行者として知られたため、徳川光圀が楠木正成の墓に「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑を建てたように「嗚呼孝子元政之墓」の墓碑を立てようとしたが、弟子が断ったという。
寛文8年(1668)、元政死去。孝行者として知られたため、徳川光圀が楠木正成の墓に「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑を建てたように「嗚呼孝子元政之墓」の墓碑を立てようとしたが、弟子が断ったという。
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==脚注==
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2013年4月20日 (土) 時点における版

瑞光寺
ずいこうじ
概要 草山律の拠点寺院。
奉斎 釈迦如来
所在地 京都府京都市伏見区深草坊町4
所在地(旧国郡) 山城国
所属(現在) 日蓮宗
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目次

概要

草山律の拠点寺院。明暦元年(1655)、元政が称心庵として創建。寛文元年(1661)、瑞光寺と改称する。 元政は親孝行に勤めたことで知られ、33歳のとき、父親の遺骨を携えて、母とともに身延山に参り、納骨したという。 瑞光寺には「不許酒肉五辛入門」の碑を建て、法華経と戒律を尊守する清貧の生活を送った。


寛文8年(1668)、元政死去。孝行者として知られたため、徳川光圀が楠木正成の墓に「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑を建てたように「嗚呼孝子元政之墓」の墓碑を立てようとしたが、弟子が断ったという。

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参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%91%9E%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

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