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普陀山・普済寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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(ページの作成:「'''普済寺'''(ふさいじ)は、中国の観音霊場普陀山を代表する禅宗寺院。「普陀山第一の寺院」と呼ばれる。もと'''前...」)
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2015年4月17日 (金) 時点における版
普済寺(ふさいじ)は、中国の観音霊場普陀山を代表する禅宗寺院。「普陀山第一の寺院」と呼ばれる。もと前寺と言っていたが、康煕38年(1699)、皇帝の杭州行幸があったとき、「普済群霊」の額を下し、普済寺(普済禅寺)と呼ぶようになった。また乾隆帝が寺に行幸したとも言われる。大円通殿、天王殿、法堂などがある。現在の大円通殿は康煕帝・雍正帝の時代に勅命で建てられたもので、高さ6.5mの観音像が祀られている。多宝塔は元の元統年間(1333-35)宣譲王が孚中のために建立したもので太子塔ともいう。
参考文献
- 鎌田茂雄、昭和62年『中国四大霊山の旅』佼成出版社