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近衛天皇陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
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1155年(久寿2年)に崩御したが、遺骨はしばらく知足院に安置され、1163年(長寛1年)に[[安楽寿院]]多宝塔に納められた。「新御塔」。もともとは美福門院藤原得子の陵として建立されたが、得子の陵は高野山に築かれたためにこちらが近衛天皇陵となった。当初の塔は1596年(慶長1年)に伏見大地震にて倒壊。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって現在の塔が再建された。内陣厨子内には阿弥陀如来坐像が、その前の壇上には大日如来坐像が納められている(文久山陵図225)。 | 1155年(久寿2年)に崩御したが、遺骨はしばらく知足院に安置され、1163年(長寛1年)に[[安楽寿院]]多宝塔に納められた。「新御塔」。もともとは美福門院藤原得子の陵として建立されたが、得子の陵は高野山に築かれたためにこちらが近衛天皇陵となった。当初の塔は1596年(慶長1年)に伏見大地震にて倒壊。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって現在の塔が再建された。内陣厨子内には阿弥陀如来坐像が、その前の壇上には大日如来坐像が納められている(文久山陵図225)。 | ||
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2011年8月22日 (月) 時点における版
1155年(久寿2年)に崩御したが、遺骨はしばらく知足院に安置され、1163年(長寛1年)に安楽寿院多宝塔に納められた。「新御塔」。もともとは美福門院藤原得子の陵として建立されたが、得子の陵は高野山に築かれたためにこちらが近衛天皇陵となった。当初の塔は1596年(慶長1年)に伏見大地震にて倒壊。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって現在の塔が再建された。内陣厨子内には阿弥陀如来坐像が、その前の壇上には大日如来坐像が納められている(文久山陵図225)。