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興正寺高松別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2018年8月19日 (日) 時点における版
興正寺高松別院(こうしょうじ・たかまつ・べついん)は香川県高松市御坊町にある浄土真宗寺院。本尊は阿弥陀如来。興正寺の別院・御坊。真宗興正派。高松御坊。楠川御坊。勝法寺。高松興正寺別院。俗に古御坊(ふるごぼう)ともいう。
歴史
篦原郷塩屋(現在の高松市塩屋町の周辺)にあった勝法寺を天文年間(1532~1555)、興正寺16世証秀(1535-1568)がすぐ西の野方町に移転。いずれも現在地に近い場所である。1583年(天正11年)、三木郡池戸の四覚寺原(現在の木田郡三木町井上の始覚寺周辺か)に移転。1614年(慶長19年)、高松藩主生駒正俊が高松城下の現在地に移転した。藩主松平頼重が1673年(延宝1年)150石を寄進し、御坊を護持するための勝法寺を北隣に新たに創建した。
子院として勝法寺・徳法寺・西福寺・願船坊が設けられた。御坊後見に常光寺(香川県木田郡三木町氷上)と阿波国安楽寺(徳島県美馬郡美馬町)が当たり、のち安楽寺は安養寺に交代した。安養寺は御坊の南隣にある。真宗興正派の独立で興正寺の別院となる。1945年(昭和20年)の空襲で焼失。1958年(昭和33年)再建。 (日本歴史地名大系)