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京都塩竈・新善光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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百済にわたり閻浮檀金を与えられ、善光寺の宝前で祈ると、如来像が出現した。 | 百済にわたり閻浮檀金を与えられ、善光寺の宝前で祈ると、如来像が出現した。 | ||
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1569年8月、将軍足利義昭が寺地と寺領45石を寄進して伽藍復興。この時、[[法相宗]]から浄土宗となったという。 | 1569年8月、将軍足利義昭が寺地と寺領45石を寄進して伽藍復興。この時、[[法相宗]]から浄土宗となったという。 |
2019年5月19日 (日) 時点における版
新善光寺は京都府京都市下京区本塩竈町にある善光寺信仰の浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。来迎堂新善光寺。
歴史
崇峻天皇の時代に本田義助が善光寺如来の模刻を作ると誓願。 百済にわたり閻浮檀金を与えられ、善光寺の宝前で祈ると、如来像が出現した。 推古天皇11年、南都(飛鳥のことか)に祀り 一条天皇の時、京都に移した。1109年、現在の下京区来迎堂町に再興。
1569年8月、将軍足利義昭が寺地と寺領45石を寄進して伽藍復興。この時、法相宗から浄土宗となったという。 1591年、現在地に移転。1788年、1864年焼失。 (『日本歴史地名大系』)