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林丘寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2019年10月28日 (月) 時点における版
林丘寺(りんきゅうじ)は、京都府京都市左京区修学院にある臨済宗の尼門跡寺院。臨済宗単立。元は修学院離宮の一部。林丘寺宮墓地が一燈寺内にある。林丘寺門跡。音羽御所。
組織
住職
女王の住職は三代で終わる。
- 1照山元瑶女王(1634-1727)<1682->:後水尾天皇皇女。光子内親王。1634年(寛永11年)7月1日生。朱宮(緋宮)。1682年(天和2年)2月、林丘寺を創建。1727年(享保12年)10月6日死去。94歳。普明院宮。墓所は林丘寺宮墓地。
- 2松嶺元秀女王(1696-1752)<>:霊元天皇皇女。1696年(元禄9年)生。1752年(宝暦2年)6月7日死去。57歳。普光院宮。墓所は林丘寺宮墓地。
- 3博山元敞女王(1750-1797)<>:閑院宮直仁親王の王女。桃園天皇養女。1750年(寛延3年)7月12日生。八代宮。1797年(寛政9年)12月15日死去。48歳。普明門院宮。墓所は林丘寺宮墓地。
(『比丘尼御所諡号考』)
住職(近代)
曇華院が兼務した時期もある(「尼門跡の言語生活」)。
- 由理滴水()<>:
- 唐橋慈正()<-1957->:(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)