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忠元神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月9日 (月)

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'''忠元神社'''は鹿児島県伊佐市大口原田にある新納忠元の[[霊社]]。村社。
'''忠元神社'''は鹿児島県伊佐市大口原田にある新納忠元の[[霊社]]。村社。
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新納忠元は[[島津家]]の家臣で、島津家の庶流。
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新納忠元(1526-1610)は[[島津家]]の家臣で、[[島津家]]の庶流。智勇兼備の名将で、戦国時代の島津家において最大の軍功を挙げた家臣とされる。耆翁良英庵主。鹿児島県伊佐市大口原田の祥雲寺(廃絶)が菩提寺だった。
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天保15年2月に創建。忠元社と呼ばれた。
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1844年(弘化1年)2月に創建。忠元社と呼ばれた。
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安政6年2月28日、明神号宣下。同年3月1日、忠元大明神と称した。
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1859年(安政6年)2月28日、明神号宣下。同年3月1日、忠元大明神と称した。
(『日本歴史地名大系』)
(『日本歴史地名大系』)
[[category:鹿児島県]]
[[category:鹿児島県]]

2020年3月9日 (月) 時点における最新版

忠元神社は鹿児島県伊佐市大口原田にある新納忠元の霊社。村社。

新納忠元(1526-1610)は島津家の家臣で、島津家の庶流。智勇兼備の名将で、戦国時代の島津家において最大の軍功を挙げた家臣とされる。耆翁良英庵主。鹿児島県伊佐市大口原田の祥雲寺(廃絶)が菩提寺だった。 1844年(弘化1年)2月に創建。忠元社と呼ばれた。 1859年(安政6年)2月28日、明神号宣下。同年3月1日、忠元大明神と称した。 (『日本歴史地名大系』)

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