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大安神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 島津忠将は垂水島津家初代。1561年(永禄4年)に戦死した。忠将の子で、佐土原島津家初代の島津以久が、「われを崇めて天下大明神と称すべし」との神託を受けて1565年(永禄8年) | + | 島津忠将は垂水島津家初代。1561年(永禄4年)に戦死した。忠将の子で、佐土原島津家初代の島津以久が、「われを崇めて天下大明神と称すべし」との神託を受けて1565年(永禄8年)に創建した。明治維新の時、藩庁が佐土原から広瀬に移転した時、佐土原の諏訪神社と稲荷神社と共に遷座合祀した広瀬神社となった。島津忠将を祀る神社としては他にも[[殿加神社]]がある。(宮崎県神道青年会ウェブサイト) |
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2020年3月20日 (金) 時点における版
大安神社(だいあんじ・じんじゃ)は宮崎県宮崎市佐土原町にあった島津家の霊社。祭神は島津忠将。薩摩・広瀬神社に合祀。領主奉斎神社。
歴史
島津忠将は垂水島津家初代。1561年(永禄4年)に戦死した。忠将の子で、佐土原島津家初代の島津以久が、「われを崇めて天下大明神と称すべし」との神託を受けて1565年(永禄8年)に創建した。明治維新の時、藩庁が佐土原から広瀬に移転した時、佐土原の諏訪神社と稲荷神社と共に遷座合祀した広瀬神社となった。島津忠将を祀る神社としては他にも殿加神社がある。(宮崎県神道青年会ウェブサイト)