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赤妻神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年7月20日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
赤妻神社(あかつま・じんじゃ)は、山口県山口市赤妻町にある錦小路頼徳を祀る霊社・招魂社。官祭招魂社。赤妻官修墳墓がある。赤妻招魂場、赤妻招魂社、下字野令招魂社、宇野令護国神社、錦小路神社、安加都麻神社ともいう。
- 1864年(元治1年)4月25日:錦小路頼徳、下関の白石正一郎邸で死去。
- 1864年(元治1年)5月8日:藩主毛利敬親が喪主となって山口の赤妻に埋葬した。当初、三条実美らは没地の下関に埋葬すべきだと主張したが、藩主は参詣に便利な山口の近くを選んだ。「贈正四位丹波頼徳朝臣墓」とある。
- 1864年(元治1年)7月3日:藩主毛利敬親、三条実美とはかり社殿を創建。錦小路頼徳の印2個を御神体としたという。安加都麻神社と称したという。『靖国神社誌』によると、1864年(元治1年)12月の創建とある。
- 1870年(明治3年):三条実美らが発起して墓の後方に記念碑を建立した。
- 1885年(明治18年):官祭招魂社となる。
- 1939年(昭和14年):護国神社制度により赤妻護国神社と改称。
- 1947年(昭和22年):赤妻神社と改称。
- 1968年(昭和43年):社殿整備が計画されるが頓挫。社殿のあった赤妻山は開発により削平されてしまい、墓地の横に再建された(年代不詳)。
1871年(明治4年)に東京で暗殺された広沢真臣夫妻の墓もある。