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北白川廃寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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北白川廃寺(きたしらかわはいじ)は京都府京都市左京区北白川大堂町にあった古代寺院。廃絶。瓜生山の南西麓、白川通と御蔭通が交わる「北白川別当交差点」の北側に当たる。白鳳時代に創建され、平安時代の終わりごろまで続いたと考えられている。このあたりに居住した粟田氏の氏寺の粟田寺の跡だと言われている。跡地碑などはない。
遺構
1934年(昭和9年)に都市計画事業の工事で、瓦を大量に積み上げて築いた基壇(東方基壇)が偶然発見された。東西35.7m、南北22.5mと推定され、南北面の中央に石段が付属していたことから金堂跡と考えられている。また1980年(昭和55年)には東方基壇のすぐ西側で南北に伸びる基礎と礎石がみつかり、2005年(平成17年)にその南側でも礎石跡がみつかったことから東方基壇には廻廊が取り巻いていたと考えられ、みつかった遺構は西廻廊とみられる。一方で1975年(昭和50年)、東方基壇の西80mの地点(京都キリスト福音教会のすぐ西)から塔基壇(西方基壇)が発見された。14m四方と推定される。ただ東西の遺構が離れすぎており、同一の寺院の遺構ではないという見方もある。(『国史大辞典』、現地説明会資料[1])