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花尾神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
花尾神社(はなお・じんじゃ)は鹿児島県鹿児島市花尾町にある島津家ゆかりの神社。祭神は清和天皇・源頼朝・丹後局・永金。村社。花尾山権現。花尾大権現。厚地山権現。花尾廟。別当は平等王院。丹後局の墓がある。
目次 |
歴史
創建
『島津国史』『三国名勝図会』などでは島津忠久が1218年(建保6年)に父源頼朝と母丹後局を祀って創建されたと伝える。永金は別当の平等王院の開山。島津家の祖廟とみなされた。琉球王国の使節もたびたび参拝した。
実際は平安時代に大蔵氏が熊野権現を祀ったものと推定されている。花尾山山頂の熊野神社と一体と考えられる。大蔵氏は承久の乱で没落。鎌倉時代末期から島津家との関係が強くなり、上記の伝承が生まれたとみられる。
島津忠宗が1293年(永仁1年)に、島津氏久が1371年(建徳2年/応安4年)に、島津久豊が1419年(応永26年)に、島津忠昌が1494年(明応3年)に、島津義久が1553年(天文22年)と1555年(弘治1年)に社殿を造営したという。 平等王院の衰退で、薩摩・大乗院が祭祀を行うようになった。
江戸時代の復興
1669年(寛文9年)、島津光久が復興。上宮・下宮・仁王門など造営。 1698年(元禄11年)源頼朝500年忌を行う。 1702年(元禄15年)、源頼朝の命日に藩主代参。以後定例。 1708年(宝永5年)、島津吉貴が別当平等王院を復興し、薩摩・大乗院が兼務。 1713年(正徳3年)、島津吉貴が復興し、現在の荘厳な社殿が造営された。島津重年の頃から歴代藩主の命日代参と、入国の際、一度は参詣することが恒例となった。 1773年(安永2年)9月、琉球王国王子が参拝。額1枚を奉納。 1787年(天明7年)8月、神主設置。 1787年(天明7年)、琉球王国使節が参拝。額3枚を奉納。 1789年(寛政1年)、島津重豪の請願で吉田家から花尾大権現号の宗源宣旨を得たという。 1797年(寛政9年)12月16日~18日、源頼朝600年忌。 1847年(弘化4年)11月11日~13日、源頼朝650年忌。 1852年(嘉永5年)、島津斉彬が修復。
鹿児島大乗院の鎮守社をはじめ、各地に分社が建てられた。 喜界島にも喜界島・花尾神社がある。
(日本歴史地名大系、鹿児島市史[]ほか)
境内
- 本社:下宮。
- 丹後局墓:1689年(元禄2年)2月に整備。
- 丹後局火葬所:1689年(元禄2年)2月に整備。六地蔵塔を建立。1875年(明治8年)石塔整備。
- 永金墓:1689年(元禄2年)2月に整備。
- 上宮:熊野権現
- 平等王院:廃絶。
- 善神王:廃絶。
- 毘沙門堂:廃絶。千体毘沙門を祀る。484体の像があったという。
- 稲荷社:廃絶?
- 源頼朝塔:1711年(正徳1年)鶴岡八幡宮相承院から頼朝の鬢髪などを分けられた。1726年(享保11年)宝塔建立。廃絶?
- 妙見社:廃絶。
- 荒神社:
- 山王社:
- 六所権現:
資料
- 「花尾権現註縁起」:1689年(元禄2年)成立。著者は大乗院17世の華海覚慧。
- 「花尾大権現廟記」:1789年(寛政1年)成立。著者は山本正誼。
- 「花尾社伝記」:1864年(元治1年)成立。著者は伊地知季安。
- 「花尾祭神輯考」:著者は伊地知季安。
- 「花尾権現宮記録」:
- 「花尾山御宮其外取調帳」:
- 「島津氏世録正統系図」: