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檀君陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年8月23日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
北朝鮮平壌直轄市江東郡文興里にある朝鮮の神話的国祖とされる檀君の陵墓。朝鮮民主主義人民共和国により、平壌東郊に位置する墳墓が檀君の陵墓だと認定されている。朝鮮民主主義人民共和国のナショナリズム。朝鮮の陵墓。
神話によると、太伯山(現在の白頭山とされる)に天帝の子桓雄が王権の象徴である天符印を持って降臨し、熊の化身である女性を后としたが、その子檀君が紀元前2333年に平壌を首都として朝鮮を建国し、1048歳で崩御したとされる。この檀君神話は、高麗時代の『三国遺事』(1280年ごろ)に初めて記載され、以後、朝鮮の建国神話として普及した。神話の成立は征服を受けて国家意識が高まった、モンゴル支配時代(1259ごろ?)と推定されている。
現在の伝承地がいつごろから、その伝承を得たのかは不明であるが、昭和年間の『名所旧蹟案内 平安南道』には江東郡江東面漆浦里に檀君墓があるとの記述がある。それによると、李氏朝鮮正祖(正宗)10年(1786年)に、毎年の春秋に県監に祭祀させることしたが、まもなく廃れた。日本植民地時代の1923年(大正12年)11月、江東郡明倫会が祭祀を復興し、門などを整備したという。戦後、1993年10月、朝鮮民主主義人民共和国社会科学院は、檀君陵の伝承地の発掘調査結果を発表し、檀君の墓だということが「科学的に」判明したと公表。翌年10月、檀君陵の築造を完了。ピラミッド型の構築物となっている。