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警察英霊祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2024年2月2日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
警察英霊祠は満洲国新京の中央警察学校にあった満洲国警察の招魂社。警察協会が建てたものであり、半公的なもの(明確な法的位置付けがないもの)だったのだろう。9月に治安部大臣(警察協会会長)を祭主に祭典。中央警察学校の日課行事として毎朝、皇居遥拝、帝宮遥拝の後に拝礼を行っていたという[1]。神式で行われたというが神職が関与していたのかは不明。
歴史
- 1939年8月:場所を中央警察学校校庭と決定。薄田総務庁次長が治安部次長当時于大臣らと図って発起。
- 1939年(昭和14年)9月9日:大同公園で第1回全国殉国警察官慰霊祭[2]
- 1939年9月:起工。主体となったのは満洲国警察協会で、会員から2万円の工事費を集めた。
- 1940年4月17日:午前10時半から神殿祭・鎮座祭。この時、鎮座したのは吉林省警務庁長の森豊以下2947柱だったという[3]。全満警務庁長会議開催に合わせて挙行だった。遺族代表や官吏、于大臣、松井最高顧問ら1000人が参列。柔道剣道相撲の演武奉納があった。「祠廟の様式を日本の神社社殿に模した春日造とし」とあるが流造の社殿の写真が残されている。日本産檜、熊岳城産花崗岩を用いたという。4月13日現在で合計3843人とも(忠霊塔の合祀数の誤りか[4])
- 1940年9月13日:第2回全国殉職警察官合同大慰霊祭[5]
- 1942年(昭和17年)1月:月次慰霊祭で阿部警長を合祀[6]。
- 1942年(昭和17年)2月:月次慰霊祭で新祭神に合祀[7]。
- 1942年(昭和17年)3月1日:『芳魂録』を編纂調製[8][9]。担当は治安部警務司。以下、毎月のように合祀。
- 1942年(昭和17年)9月5日:第4回殉職警察官慰霊祭[10]。警察協会会長の祭文[11]。この時点で殉難者総数4471人[12](合祀数とは異なるか)。
- 1943年(昭和18年)9月4日:第5回全満殉職警察官慰霊祭。新合祀数は261人。総数4714人。[13]。
- 1944年(昭和19年)9月:第6回の祭典の開催の有無は不明。