ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
南朝人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2016年4月29日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
日本の南朝
目次 |
一覧
天皇
- 96後醍醐天皇(1288-1339)<1318-1339>
- 97後村上天皇(1328-1368)<1339-1368>
- 98長慶天皇(1343-1394)<1368-1383>
- 99後亀山天皇(?-1424)<1383-1392>
皇族
- 後醍醐
- 恒性王(1305-1333):真言僧。大覚寺門跡27世。元弘の変で越中に配流され、幽閉。天皇の隠岐脱出で警戒されて幕命で名越時有に殺害された。大覚寺宮、越中宮。
- 護良親王(1308-1335):天台僧。梶井門跡31世。天台座主、征夷大将軍を歴任。父帝との不和のため、謀反を疑われ、鎌倉に幽閉。中先代の乱の混乱で足利尊氏の弟直義に殺害された。逃れて落ち延びた潜行譚など様々な伝説がある。僧名は、尊雲法親王。通称は、大塔宮。
- 世良親王(?-1330):若くして没した皇族。遺言で嵯峨にあった御殿を寺として臨川寺を創建。
- 尊良親王(1311-1337):元弘の変で土佐配流。足利尊氏に敗れ、金崎城で新田義貞とともに高師泰と戦うが敗北。一品中務卿親王。
- 宗良親王(1311-1385?):天台僧。天台座主。妙法院門跡24世。元弘の変で讃岐配流。井伊城に入る。信濃小笠原氏に擁立される。歌人で『新葉和歌集』を編纂。尊澄法親王。信濃宮、信州中書王。
- 懽子内親王(1315-1362):斎宮となるが、父帝の隠岐配流を受けて退任。光厳上皇の後宮となる。のち深草保安寺(法安寺)に入る。宣政門院。
- 瓊子内親王(1316-1339):時宗尼。父帝を追って隠岐に渡ろうとするが、伯耆国車尾(くずお)に軟禁される。ここで、清浄光寺5世安国(6世一鎮とも)に帰依。伯耆・安養寺を創建。皇室治定墓がある。法名は安養。
- 無文元選(1323-1390):臨済僧。可翁宗然や雪村友梅に師事。元で古梅正友から法を嗣ぐ。奥山朝藤に招かれ、遠江・方広寺開山となる。他に京都帰休庵、三河広沢寺、美濃了義寺などを創建。聖鑑国師、円明大師。
- 恒良親王(1324?-1338):元弘の変で但馬配流となるが、静尊法親王とともに太田守延に奉じられて京都を攻める。建武政権で皇太子。金崎城で新田義貞とともに高師泰と戦うが敗北。拘束され京都で毒殺されたという。
- 法仁法親王(1325-1352):真言僧。仁和寺門跡16世。六勝寺検校。躬良親王。
- 成良親王(1326-1344):南朝出身だが、北朝方の皇子。足利直義が倒幕のため鎌倉に下る時に擁した。中先代の乱で京都に戻る。征夷大将軍となるが、尊氏が政権を確立すると北朝の光明天皇の皇太子となる。しかし、後醍醐天皇が吉野に移ると皇太子を廃された。
- 懐良親王(1329-1383):尊氏が離反すると征西将軍宮に任命され、五条頼元とともに四国を経て九州へ。大宰府を占領し、菊池家や阿蘇家の支持を得て九州における南朝の要となる。筑後国矢部に隠退。鎮西宮、九州宮。
- 玄円法親王(?-1348):南都僧。興福寺一乗院門跡。
- 龍泉令淬(?-1364):臨済僧。虎関師錬に師事。承天寺、万寿寺などに住す。
- 用堂(?-1396):臨済尼。護良親王の供養のために鎌倉・東慶寺住職5世となる。皇室治定墓が同寺にある。
- 満良親王(生没年不詳):土佐で活躍した花園宮、周防で令旨を多数発した常陸親王と同一人物と考えられている。
- 祥子内親王(生没年不詳):最後の斎宮。臨済尼。伊勢には下向せず、後、尼となり深草保安寺に入ったという。また伊勢の伝説では熊野に住んだ後、伊勢慶光院を創建したともいう。法名は周徳。
- 聖助法親王(生没年不詳):天台僧。聖護院門跡23世。
- 静尊法親王(生没年不詳):天台僧。聖護院門跡24世。元弘の変で但馬配流となるが、恒良親王とともに太田守延に奉じられて京都を攻める。その後の行方は不詳。恵尊法親王。
- 尊真(生没年不詳):真言僧。醍醐寺に入る。通称醍醐宮。
- 源光(生没年不詳):伝説的な浄土真宗僧。後醍醐天皇が吉野光遍寺を行宮とした時の皇子。同寺5世となる。俗名は賢光とされる。
- 後村上
- 長慶
- 後亀山
- その他
- 守良親王:亀山天皇皇子。覚浄(覚静)。子に宗覚。
- 恒明親王(1303-1351):亀山天皇皇子。常磐井宮初代。後醍醐天皇を補佐するが、吉野に行かなかった?
- 尊観法親王(1349-1400):時宗僧。恒明親王の王子という。遊行上人12世。下関・専念寺に治定尊観親王墓がある。深勝法親王。師阿。他阿。
- 尹良親王:宗良親王の第2皇子
- 尊成現王:小倉宮
- 守永親王:宇津峰宮?
- 陸良親王
- 尊雅王
- 国良親王
- 教尊法親王(生没年不詳):小倉宮の王子(後醍醐天皇五世孫)。禁闕の変で捕縛され、隠岐に配流。
- 直仁親王(1335-1398) :北朝花園天皇の皇子。皇太弟を廃されたため、南朝方に付く。萩原宮。
- 円悟法親王:説成親王の王子。円満院門跡。
- 円胤法親王:説成親王の王子。円満院門跡。
- 聖淳(?-1434):説成親王の王子。謀反の疑いで足利義教に処刑された。相応院新宮。
- 良王親王
- 阿野廉子:後醍醐天皇妃。新待賢門院。
- コウボ坂陵墓参考地
- 檜尾塚陵墓参考地
後南朝
- 聖承親王(?-1443):恒敦皇子の王子。俗名は泰仁親王、良泰親王ともいうが不詳。小倉宮。樋口宮。
- 教尊親王(生没年不詳):聖承親王の王子。勧修寺門跡となるが、禁闕の変で関与を疑われて隠岐に配流。
- 尊義王(生没年不詳):実在不明。空因親王とも。後亀山天皇の皇孫という。
- 尊秀王(生没年不詳):禁闕の変を起こす。北山宮と同一人物説もある。
- 北山宮(?-1457):尊義王の王子ともいう。尊秀王と同一人物説もある。赤松家遺臣に殺害される。自天王
- 忠義王(?-1457):北山宮の弟。尊義王の王子ともいう。河野宮を称す。神之谷金剛寺に墓。赤松家遺臣に殺害される。
- 興良親王:
- 通蔵主(?-1443):臨済宗相国寺の僧侶。禁闕の変で四国流罪となるが途中で死去。
- 金蔵主(?-1443):臨済宗万寿寺の僧侶。通蔵主の弟。後亀山天皇皇子とも世明王の王子ともいう。禁闕の変で戦死。
- 梵勝(生没年不詳):臨済宗相国寺の僧侶。玉川宮の子孫という。
- 梵仲(生没年不詳):臨済宗相国寺の僧侶。梵勝の弟。玉川宮の子孫という。
楠木一族
北畠一族
- 北畠親房(1293-1354)
- 北畠顕家(1318-1338):親房の長男。
- 北畠顕信(生没年不詳):親房の次男。
- 北畠顕能(生没年不詳):親房の三男。
- 北畠守親(生没年不詳):顕信の子。
- 北畠具行:留魂社(北畠神社内)
- 北畠満雅:留魂社(北畠神社内)
- 北畠具教:留魂社(北畠神社内)
新田一族
菊池一族
その他
- 円観
- 名和長年(?-1336)
- 結城宗広(?-1338)
- 結城親光
- 花山院師賢(1301-1332)
- 児島範長
- 船岡神社(吉野神宮内)
- 児島高徳
- 日野資朝
- 日野俊基
- 日野俊基墓(葛原岡神社内)
- 葛原岡神社
- 御影神社(吉野神宮内)
- 日野直道
- 桜山茲俊
- 土居通増
- 瀧桜神社(吉野神宮内)
- 得能道綱
- 瀧桜神社(吉野神宮内)
- 井伊道政:井伊社(井伊谷宮内)
- 井伊高顕:井伊社(井伊谷宮内)
- 近江宗康
- 勧修寺宗重
- 伊達行朝
- 気比氏治:絹掛神社(金崎宮内)
- 気比斎晴:絹掛神社(金崎宮内)
- 吉水院宗信
- 大膳坊賢栄
- 大膳神社:佐渡
- 千種忠顕
- 藤原行房:絹掛神社(金崎宮内)
- 万里小路藤房
- 美穂神社:港区
- 喜久沢神社:栃木県鹿沼市
- 南部師行
- 勲之宮(阿部野神社内)
- 遠野・南部神社
- 二条為冬:佐野原神社
- 和田賢秀
- 足助重範:足助神社
- 竹原八郎:花知神社
- 宇都宮隆房
- 宇都宮神社
- 瓜生保:絹掛神社(金崎宮内)
- 瓜生義鑑:絹掛神社(金崎宮内)
- 里見時成:絹掛神社(金崎宮内)
- 里見義氏:絹掛神社(金崎宮内)
- 由良具滋:絹掛神社(金崎宮内)
- 長浜顕寛:絹掛神社(金崎宮内)
- 武田与一:絹掛神社(金崎宮内)
- 村上義光
- 村上義光墓:吉野にある。
- 村上社(鎌倉宮内)
- 南の方:護良親王の世話をした。日叡の母という。
- 南方社(鎌倉宮内)
- 谷山隆信
- 栗生頼方
- 四条隆資
- 四条隆俊
- 勧修寺家重
- 近衛宗康
- 日野直通
- 奥山朝藤:方広寺開基
- 太田守延
- 日叡:護良親王の王子。
- 小大塔ノ宮:和歌山県東牟婁郡北山村に伝わる、護良親王の王子。