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聞得大君御殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年10月31日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
聞得大君御殿(ちふいじん・うどぅん)は、沖縄県那覇市首里汀良町にあった聞得大君の神殿及び宮殿。廃絶。現在の首里中学校運動場周辺。何度か移転している。国母宮とも。
歴史
当初は虎頭山南麓にあったが、島津家侵攻で焼失。 読谷山御殿の地に移転。 1706年、大中村に移転。 1730年、汀志良次村に移転。 1744年焼失。再び読谷山御殿の地に移り明治まで続いた。 王府解体で尚家の私有となったが、明治末に廃絶となり、神殿は中城御殿に遷座した。 (日本歴史地名大系)
組織
歴代の聞得大君
(未完)
- 1月清()<>:尚円王の王女。
- 安里翁主()<>:王室解体時の大君。尚灝王の王女。大宜見按司朝平室。
- 安室翁主()<>:最後の聞得大君。尚泰王の王女。伊江朝猷室。