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都城護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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都城護国神社は宮崎県都城市小松原町にあった招魂社。神柱宮の西側にあった。官祭招魂社。指定外護国神社。宮丸招魂社、都城招魂社。
1869年(明治2年)2月、島津久寛ら4人が創建。戊辰戦争で戦死した肥田景直ら12柱を祀った。明治7年10月、官祭となった。西南戦争の戦死者の古垣俊雄ら21柱を合祀した。(宮崎県案内記[1]) 宮崎県の指定護国神社を都城市に誘致しようとする運動もあったが功を奏さず、宮崎県護国神社は宮崎市に決まった(創建は戦後)。 1956年(昭和31年)10月2日、宗教法人を解散し、慰霊塔となった(『宮崎県政八十年史』[2]) 「招魂社のケヤキ」が残る。 「都城空襲犠牲者追悼碑」のあたりか。