ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
延暦寺宝幢院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年5月11日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
延暦寺宝幢院は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺の西塔地区にあった天台宗寺院。本尊は千手観音・不動尊・毘沙門天。最澄が構想した十六院の一つ。現在の釈迦堂の北東にあった。廃絶したが、付属の相輪塔が存続している。宝幢院は西塔地区の総称として使うこともある。
歴史
付属する相輪塔のほうが建立が早い。相輪塔は最澄存命中の820年(弘仁11年)9月、自筆の法華経など22部58巻の経典を納めるために建立。最澄の死後、宝幢院の堂宇は、西塔地区を管轄する恵亮が嘉祥年間(848-851)に惟仁親王(清和天皇)の御願寺として建立。親王の即位を祈願したという。859年(貞観1年)8月には涅槃経と維摩経の年分度者2人が認められた。堂宇は南北朝時代までには廃絶したらしい。織田信長の焼き討ち以前には跡地に恵亮堂があったという。鎮守として伊勢・八幡・賀茂・鹿島・熱田・山王を祀る六所社があった。相輪塔は再建を繰り返して現存する。(日本歴史地名大系)