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紅葉山東照宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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紅葉山東照宮(もみじやま・とうしょうぐう)は、江戸城の紅葉山にあった東照宮。歴代将軍の霊廟もあった。二の丸東照宮とは別。紅葉山御宮


目次

歴史

1618年(元和4年)閏3月17日、仮殿を建て鎮座(続史愚抄)。同年4月17日正遷宮(続史愚抄)。徳川秀忠による。 1654年(承応3年)9月16日、正遷宮(続史愚抄)。 毎年4月17日には将軍が御三家・前田家・越前松平家・譜代大名らと共に参詣し紅葉山御社参と呼ばれた。 このとき、将軍は葡萄染精好の直垂を着用し、風折烏帽子をかぶって轅輿に乗り、随従の大名は烏帽子・大紋直垂を着用した。 毎月17日にも重臣の参詣があった。 紅葉山坊主が仕えた。 1642年(寛永19年)、三方楽所(宮中、南都楽所、天王寺楽所)から数人ずつが移って奏楽のための紅葉山楽人が置かれた。 警備として紅葉山火之番が設置された。 紅葉山御宮御番は宝暦ごろ廃止。 法華八講が行われていたようだ

明治初年に廃絶。

1698年(元禄11年)頃、旧殿が寛永寺山王社に移されていたが明治に解体された。

組織

紅葉山別当

  • 公央
  • 徳潤
  • 光俊
  • 義順
  • 慈秀
  • 公副

「紅葉山御別当譜」[1]

  • 忠尊(?-1639):浅草寺別当。

資料

  • 紅葉山御宮御三仏殿之図[2]
  • 紅葉山御宮御染筆八講之次第:紅葉山八講御法会日記。1745年(延享2年)。
  • 紅葉山御宮御霊屋・惣絵図
  • 紅葉山御宮御霊屋絵図:『徳川礼典録』所収[3]
  • 将軍家紅葉山御参詣御行列:『徳川礼典録』所収[4]
  • 紅葉山御宮御霊屋棟札写[5]
  • 紅葉山御宮御霊屋略図
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE」より作成

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