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毛利本家画像堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月16日 (土)
毛利本家画像堂は山口県防府市多々良にある毛利元就木像および毛利元就以下歴代の画像を祀る霊廟。毛利本家祖霊社の西側にある。祖霊社が神式であるのに対して、画像堂は仏教的な装いで建てられている。毛利家の祭祀も参照。
毛利元就木像はもとは石見銀山に祀られていたものといい、のちに毛利家の所有となった。1684年に石見長安寺(石見・豊栄神社)から萩洞春寺に奉遷された木像(防長寺社由来)に該当するのかもしれない。萩城内の洞春寺顕西殿に祀られていたが、明治初年に豊栄神社の宝蔵に仮に遷された。 1886年(明治19年)6月、毛利元就の木像を奉安するため東京高輪邸内に旧海蔵醍醐寺(防府市。明治初年廃絶)位牌堂を移築した。木像の他、毛利元就以下歴代の画像を祀るようになり画像堂の起源となる。 明治20年代に毛利本家は防府に移居。画像堂は東京邸に残されたままだった。 1916年(大正5年)、防府に現在の毛利家本邸が完成した。 1917年(大正6年)に移転計画が立ち上がり、2月には技師原竹三郎が設計図を制作。6月2日に毛利元昭が計画を裁可。 1918年(大正7年)6月30日、防府本邸に新しい画像堂が完成し、7月3日、毛利元就木像を奉遷した。
防府の大工の椙山作之進が施工。 屋根の頂部に宝珠を載せた宝形造の裳階付きの堂宇で、壁には霞火灯窓があしらわれ、内陣・外陣とも床は石張りとされ、特に内陣は大理石で渦巻文様が描かれている。儒教色の強い黄檗宗風の意匠が採用された。2020年(令和2年)11月7日、修復竣工。
資料
- 福田東亜2011「毛利邸画像堂」『山口県の近代和風建築―山口県近代和風建築総合調査報告書』
- 毛利博物館2020『毛利博物館を楽しむ―重要文化財旧毛利家本邸画像堂保存修理工事完成記念2』
- 江﨑信貴2021「重要文化財旧毛利家本邸画像堂保存修理工事について」『山口県文化財』52
- 「旧毛利家本邸 画像堂」『文化遺産オンライン』[1]