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法華経寺遠寿院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月27日 (月)
遠寿院は千葉県市川市中山にある日蓮宗寺院。法華経寺の子院。祈祷僧を養成する荒行堂(加行所)がある。日蓮宗久遠寺派。旧称は円立坊。
歴史
1670年(寛文10年)頃、院家側の主導で積善房流の経王院日詳(1608-1678)を招いて円立坊を創建。1824年(文政7年)までには遠寿院と改称。世情混乱で1867年(慶応3年)から1871年(明治4年)まで行堂停止。1868年(明治1年)4月10日、法華経寺の火災で焼失。1872年(明治5年)に開堂した。文明開化、「淫祠邪教」の禁止の風潮の中、祈祷の存続が危ぶまれるが、中山112世河田日因と遠寿院25世朝田日光(1845-1879)の尽力で存続した。1876年(明治9年)5月8日、「加行規則並順序等」を定め、宗派管長の公認を得た。法華経寺住職は「伝主」、遠寿院住職は「副伝主」と称している。1878年(明治11年)修法者規則を制定。1888年(明治21年)、再行堂(先輩寮)を建立。1893年(明治26年)修法取締規則を制定。1897年(明治30年)荒行堂に付属する行堂(寮)を建立。1898年(明治31年)荒行堂を修復。1903年(明治36年)頃は現在の読経堂が初行堂で、30畳敷きで鬼子母尊神を祀り、堂の南には水行場もある。初行堂の前に再行堂があり、その奥に五行堂があった。1897年(明治30年)頃、伝書を整備。
戦後、日蓮宗久遠寺派から離脱し、本寺である法華経寺の中山妙宗に所属。 久遠寺派の荒行堂は身延山に移転。のち遠寿院は久遠寺派に復帰。1960年(昭和35年)から1973年(昭和48年)まで荒行堂は身延山と遠寿院の双方で開設された。 1973年(昭和48年)3月、中山妙宗が日蓮宗久遠寺派に合同すると荒行堂の一本化を図られ、身延山の荒行堂が法華経寺に移転。一本化はならず、宗派とは別に遠寿院の行堂が営まれている。
組織
歴代
- 1経王院日詳(1608-1678):積善房流を学ぶ。泰福寺7世。
- 2生善院日遼(1622-1708):泰福寺7世、題経寺歴代。
- 3遠寿院日久(1662-1727):積善房流の満行院日順に学ぶ。
- 4遠寿院日行():
- 大慈院日心():1824年(文政7年)再任。
- 20
- 21
- 22
- 23妙龍院日逞(?-1858):
- 24遠妙院日栄
- 観量院日照:25世?
- 25朝田日光(1845-1879):
- 26喜多村日修():1880年(明治13年)就任。1899年(明治32年)頂妙寺貫首に就任。
- 27山田日然():1899年(明治32年)就任。
- 28
- 29布施日健
- 30
- 31
- 32
- 33
- 仲北日誠
- 34戸田日輝():妙行院。
- 36戸田日晨():善育