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五劫院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月9日 (金)

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'''五劫院'''(ごこういん)は、奈良県奈良市にある[[東大寺]]末寺の[[浄土宗]]寺院。本尊は'''五劫思惟阿弥陀如来坐像'''。鎌倉時代に東大寺を復興した[[重源]]が創建。重源の供養塔と江戸時代に復興した[[公慶]]の墓がある。[[華厳宗]]所属だが、[[浄土宗西山派]]の法灯を伝える。  
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'''五劫院'''(ごこういん)は、奈良県奈良市北御門町にある[[浄土宗]]寺院。[[東大寺]]の末寺。本尊は'''五劫思惟阿弥陀如来坐像'''。山号は思惟山。鎌倉時代に東大寺を復興した[[重源]]が創建。重源の供養塔と江戸時代に復興した[[公慶]]の墓がある。[[華厳宗]]所属だが、[[浄土宗西山派]]の法灯を伝える。[[東大寺関連旧跡]]。
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==資料==
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*岩田茂樹2007「奈良・五劫院の五劫思惟阿弥陀如来坐像」『鹿園雜集』9[https://doi.org/10.24737/00000099]
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*山下秀樹1999「奈良県指定文化財186五劫院本堂1棟」『月刊奈良』380
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2024年2月9日 (金) 時点における最新版

五劫院003.jpg

五劫院(ごこういん)は、奈良県奈良市北御門町にある浄土宗寺院。東大寺の末寺。本尊は五劫思惟阿弥陀如来坐像。山号は思惟山。鎌倉時代に東大寺を復興した重源が創建。重源の供養塔と江戸時代に復興した公慶の墓がある。華厳宗所属だが、浄土宗西山派の法灯を伝える。東大寺関連旧跡

資料

  • 岩田茂樹2007「奈良・五劫院の五劫思惟阿弥陀如来坐像」『鹿園雜集』9[1]
  • 山下秀樹1999「奈良県指定文化財186五劫院本堂1棟」『月刊奈良』380
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%94%E5%8A%AB%E9%99%A2」より作成

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