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井筒組

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月5日 (日)

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[[File:四天王寺庚申堂・大峰講塔_(1).jpg|thumb|500px|「井筒」とある四天王寺庚申堂にある塔]]
'''井筒組'''は[[大峰山寺]]に登拝する[[修験道]]の行者講で、大峰山寺の運営に関わる[[阪堺役講]]の一つ。
'''井筒組'''は[[大峰山寺]]に登拝する[[修験道]]の行者講で、大峰山寺の運営に関わる[[阪堺役講]]の一つ。
名前は涌出岩にある井戸に由来。青木家が講元を世襲していた。1837年(天保8年)4月、大峰本堂の修復料に10両を支出。1852年(嘉永5年)に堺井筒組が扁額を奉納している。1985年(昭和60年)時点で役員35人、講社28団体、講員409人、参拝券52枚。大阪、堺、愛知に分布。宿坊は[[大和・龍泉寺]]で、定宿は枡源。[[三宝院門跡]]と縁が深い。毎年6月22日三宝院で物故者供養。[[大阪・安福寺]]春秋護摩。2月第2日曜に総会という。
名前は涌出岩にある井戸に由来。青木家が講元を世襲していた。1837年(天保8年)4月、大峰本堂の修復料に10両を支出。1852年(嘉永5年)に堺井筒組が扁額を奉納している。1985年(昭和60年)時点で役員35人、講社28団体、講員409人、参拝券52枚。大阪、堺、愛知に分布。宿坊は[[大和・龍泉寺]]で、定宿は枡源。[[三宝院門跡]]と縁が深い。毎年6月22日三宝院で物故者供養。[[大阪・安福寺]]春秋護摩。2月第2日曜に総会という。
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[[四天王寺庚申堂]]に井筒組が建てた塔がある。
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[[四天王寺庚申堂]]に1922年(大正11年)井筒組が建てた塔がある。この時の銘には宿坊[[喜蔵院]]とある。
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File:四天王寺庚申堂・大峰講塔_(1).jpg|四天王寺庚申堂にある塔
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2021年12月5日 (日) 時点における最新版

「井筒」とある四天王寺庚申堂にある塔

井筒組大峰山寺に登拝する修験道の行者講で、大峰山寺の運営に関わる阪堺役講の一つ。

名前は涌出岩にある井戸に由来。青木家が講元を世襲していた。1837年(天保8年)4月、大峰本堂の修復料に10両を支出。1852年(嘉永5年)に堺井筒組が扁額を奉納している。1985年(昭和60年)時点で役員35人、講社28団体、講員409人、参拝券52枚。大阪、堺、愛知に分布。宿坊は大和・龍泉寺で、定宿は枡源。三宝院門跡と縁が深い。毎年6月22日三宝院で物故者供養。大阪・安福寺春秋護摩。2月第2日曜に総会という。

四天王寺庚申堂に1922年(大正11年)井筒組が建てた塔がある。この時の銘には宿坊喜蔵院とある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E7%B5%84」より作成

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