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京都・一乗寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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一乗寺は、京都府京都市左京区にあった天台宗寺院。園城寺末の寺門派だった。廃絶。地名として残る。八大神社が鎮守だった。(参考:同名寺院一乗寺

歴史

1063年(康平6年)に一条天皇中宮の藤原彰子(上東門院)が創建したと伝えるが、それ以前の 981年(天元4年)には存在していたらしき記録がある。同年の寺門派余慶の法性寺座主就任の是非を問う山門寺門の抗争の際に寺門派の穆算らが一乗寺に避難している。 日本紀略988年(永延2年)10月26日条にも円融法皇延暦寺御幸の途中で一乗寺に滞在したとつづる。 1001年(長保3年)7月17日には一乗寺般若院に阿闍梨5口の設置が認められており、寺院として既に成立していたことが明白である。

扶桑略記1080年(承暦4年)、園城寺隆明と聖護院増誉の周旋で、上東門院の御願寺となった。 増誉が一乗寺僧正と呼ばれたのは一乗寺に住んだためである。 1121年(保安2年)5月27日、延暦寺勢により焼き討ちされた。 その後再興されたが、南北朝時代の兵乱で焼失した。 1959年(昭和34年)、「一乗寺跡」碑が建てられた。礎石が残るという。

(『日本歴史地名大系』)

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