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慈雲旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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慈雲(じうん)(1718-1804)は、真言律宗高貴寺流(正法律)の開祖。上月氏。摂津大坂出身。法楽寺で出家し、野中寺で受戒。高貴寺を開く。雲伝神道を創唱。慈雲飲光。通称は慈雲尊者百不知童子葛城尊者葛城山人

目次

略歴

略年譜

慈雲年譜
月日 年齢 事項
1718年(享保3年) 7月28日 1 外祖父の自宅がある高松藩蔵屋敷で誕生。
1719年(享保4年) 2
1720年(享保5年) 3
1721年(享保6年) 4
1722年(享保7年) 5
1723年(享保8年) 6
1724年(享保9年) 7
1725年(享保10年) 8
1726年(享保11年) 9
1727年(享保12年) 10
1728年(享保13年) 11
1729年(享保14年) 12
1730年(享保15年) 11月18日 13 父の死去を機に法楽寺で忍綱貞紀(1671-1750)に従って出家。
1731年(享保16年) 7月18日 14 悉曇伝授を受ける。
1732年(享保17年) 15 四度加行。
1733年(享保18年) 16 3年間、京都遊学し、儒者伊藤東涯(1670-1736)らに学ぶ。
1734年(享保19年) 17
1735年(享保20年) 18
1736年(元文1年) 19 大和遊学。
11月13日 野中寺に入り、秀岩から沙弥戒を受戒。
1737年(元文2年) 3月 20 野中寺で秀岩から灌頂を受ける(玄賓庵とも)。
1738年(元文3年) 11月18日 21 野中寺で具足戒を受ける。
1739年(元文4年) 3月 22 忍綱貞紀から西大寺流の伝法灌頂。
法楽寺住職となる。
1740年(元文5年) 23
1741年(寛保1年) 8月18日 24 法楽寺を退き弟子の松林に譲る。
9月6日 信濃に赴き曹洞宗正安寺の大梅法〓(1682-1757)に参禅。忍綱貞紀の指導に満足しないところもあったためという。
1742年(寛保2年) 25
1743年(寛保3年) 4月4日 26 大梅法〓から印可を受ける。
5月 法楽寺に帰る。
1744年(延享1年) 4月9日 27 忍綱貞紀の命で長栄寺住職となる。
1745年(延享2年) 4月 28 愛弟子の愚黙親證(1727-1751)や寂門に沙弥戒を授ける。
10月25日 長栄寺に結界を設定し僧坊とする。この頃、「正法律」を標榜し始める。
1746年(延享3年) 7月15日 29 三師七証の形式で愚黙親證に具足戒を授ける。
1747年(延享4年) 30
1748年(寛延1年) 31
1749年(寛延2年) 32 『根本僧制』を定める。
1750年(寛延3年) 2月11日 33 この頃、暁堂恵日尼が弟子入り。
3月 有馬桂林寺を兼務。4月13日、桂林寺を結界する。
12月7日 師の忍綱貞紀死去。
1751年(宝暦1年) 3月10日 34 弟子の愚黙親證が死去。慈雲は「大禅師」の号を贈る。
弟子の即成覚法が死去。
7月 『方服図儀』を著す。
1752年(宝暦2年) 35 この頃、護明が弟子入り。
1753年(宝暦3年) 36
1754年(宝暦4年) 37 『神儒偶談』を著す。のちに雲伝神道として大成する。
1755年(宝暦5年) 4月9日 38 生母が死去。
1756年(宝暦6年) 39
1757年(宝暦7年) 40
1758年(宝暦8年) 41 長栄寺住職を退き、生駒双龍庵に隠棲。双龍庵は智鏡尼の寄進による。以後、梵語研究を重視し、『梵学津梁』(未開版)として結実する。
1759年(宝暦9年) 42
1760年(宝暦10年) 43
1761年(宝暦11年) 44
1762年(宝暦12年) 45
1763年(宝暦13年) 46
1764年(明和1年) 47
1765年(明和2年) 48
1766年(明和3年) 49 慈円浄照尼の発願を受けて「千衣縫製」を始める。
1767年(明和4年) 50
1768年(明和5年) 51
1769年(明和6年) 52
1770年(明和7年) 53
1771年(明和8年) 54 京都阿弥陀寺に移る。一条家関係者の善妙寺住職の義文尼らの要請によるという。
1772年(安永1年) 55 この頃、桃園天皇(1741-1762。享年22歳)皇子の伏見宮17代貞行親王(1760-1772。享年13歳)の乳母の通子(慧琳尼)が阿弥陀寺に出入りするようになる。
1773年(安永2年) 7月 56 桃園天皇女御の恭礼門院(1743-1795。一条兼香の娘。貞行親王生母)が十善戒を受戒。慧琳尼の勧めによる。
8月 桃園天皇生母の開明門院(1717-1789。姉小路実武の娘)が十善戒を受戒。
11月23日 開明門院および、義文尼、慧琳尼が十善戒の解説を請い、この日から翌年4月8日まで10回にわけて講義。のちの『十善法語』の元となる。
この頃、法護が弟子入り。
観心寺槙本院から高貴寺を譲られる。
1774年(安永3年) 57
1775年(安永4年) 58 『十善法語』成立。護明、法護、諦濡が編集に当たる。
1776年(安永5年) 2月1日 59 京都阿弥陀寺を去って高貴寺に隠棲。
1777年(安永6年) 60
1778年(安永7年) 61
1779年(安永8年) 62
1780年(安永9年) 63 弟子の護明が京都阿弥陀寺で46歳で死去。
1781年(天明1年) 64 『人となる道』成立。『十善法語』を再校したもの。
1782年(天明2年) 65
1783年(天明3年) 4月8日 66 恭礼門院、慈雲の勧めで尼僧坊として長福寺を興し、慈雲が入仏法要の導師を務める。前年から慧琳尼と皓月尼を住まわせて改築を進めていた。桃園天皇と貞行親王の菩提寺。
1784年(天明4年) 67
1785年(天明5年) 68
1786年(天明6年) 5月 69 幕府から高貴寺を僧坊とし「正法律一派」の本山とする認可を受ける。
1787年(天明7年) 70
1788年(天明8年) 71
1789年(寛政1年) 72
1790年(寛政2年) 73
1791年(寛政3年) 74
1792年(寛政4年) 75
1793年(寛政5年) 76
1794年(寛政6年) 77
1795年(寛政7年) 78 開明門院の発願で尼僧坊として水薬師寺を中興。操山尼が1世となる。
1796年(寛政8年) 79
1797年(寛政9年) 80
1798年(寛政10年) 81
1799年(寛政11年) 82
1800年(寛政12年) 83
1801年(享和1年) 84 郡山藩主柳沢保光に招かれ、キリシタンの子孫に説法する。
1802年(享和2年) 85
1803年(享和3年) 86 弟子の法護が66歳で死去。
1804年(文化1年) 8月 87 発病。
9月21日 養生のため京都阿弥陀寺に入る。
12月22日 死去。
12月24日 遺骸の越境搬送は禁制だったが、郡山藩主柳沢保光の周旋により特使が派遣され、夜に弟子たちが棺を担いで阿弥陀寺を出発。郡山到着時には柳沢保光が城外で焼香した。
12月25日 慈雲の棺が高貴寺に到着。奥之院の傍らに埋葬。

死後年譜

墓廟

木像は在世中に4体作られ、高貴寺、長栄寺、万善寺、水薬師寺に祀られたが万善寺のもの戦災で寺とともに被災したという。また塑像が長福寺にあるという。高貴寺と長栄寺の像は「秘密伝法像」と呼ばれている。

一覧

  • 慈雲生誕地:大阪府大阪市北区中之島。玉江橋の南側の高松藩蔵屋敷跡地に記念碑。戦災で失われたが、1951年(昭和26年)9月17日に再建。
  • 法楽寺:大阪府大阪市東住吉区山坂。13歳で出家。のち23歳で住職となる。真言宗泉涌寺派
  • 野中寺:大阪府羽曳野市野々上にある聖徳太子ゆかりの真言宗寺院。真言律宗西明寺流。19歳、1736年(元文1年)冬、入る。現在は高野山真言宗
  • 正安寺:長野県佐久市内山にある曹洞宗寺院。大梅に参禅。
  • 長栄寺:大阪府東大阪市高井田元町。1744年(延享1年)4月、師の忍綱の命で住職となる。初めて弟子の指導に当たる。愚黙の懇願によるものだった。翌年10月、結界して僧坊とする。現在は新真言宗を称す。
  • 桂林寺:兵庫県神戸市北区道場町平田。廃絶。1750年(寛延3年)兼務住職となる。跡地に正福寺がある。
  • 双龍庵:大阪府東大阪市山手町。廃絶。1758年(宝暦8年)、庵を建てる。建物は長栄寺に移された。跡地に天龍院がある。
  • 高貴寺:大阪府南河内郡河南町平石。1776年(安永5年)入寺。慈雲の墓所。高野山真言宗。
  • 葛城・磐船神社:大阪府南河内郡河南町平石。雲伝神道の根本道場。
  • 北野・阿弥陀寺:京都府京都市上京区。北野天満宮七保御供所の一つ。1771年(明和8年)移る。没地。
  • 西京極・長福寺:京都府京都市右京区西京極中町。真言宗泉涌寺派。恭礼門院富子が慈雲に帰依して創建。
  • 水薬師寺:京都市下京区西七条石井町。真言宗単立。
  • 万善寺:大阪府大阪市北区北野。廃絶。

著作

  • 慈雲尊者全集
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%85%88%E9%9B%B2%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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