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東海寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 1638年、将軍徳川家光が[[沢庵]]を開山として創建。沢庵は紫衣事件で処分されたが、既に恩赦を受け赦免されていた。 | |
翌年、沢庵は入寺。同年、500石が寄進された。1694年火災で焼失。それまでなかった仏殿を含む大伽藍を造営。 | 翌年、沢庵は入寺。同年、500石が寄進された。1694年火災で焼失。それまでなかった仏殿を含む大伽藍を造営。 | ||
- | + | 朝鮮通信使の宿所に3回使われた。 | |
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- | + | 住職は1645年に沢庵が死んだ後、3年間は無住だったが、 | |
+ | 1648年、幕府は大徳寺北派五門流の僧侶による輪番と定めた。任期は2年、のち1年。 | ||
+ | 1689年、一時独住制となったが、再び輪番制となる。 | ||
+ | 1869年、品川県が設置され、その県庁が東海寺に置かれることになり、境内の多くが召し上げられたようだ。 | ||
+ | 県庁自体は建てられることなく、1871年、廃藩置県で品川県は廃止されたが、旧境内は官有地となった部分が多い。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』ほか) | ||
==伽藍== | ==伽藍== | ||
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*[[品川神社]]:近世には品川稲荷社などと呼ばれ、東海寺鎮守とされた。 | *[[品川神社]]:近世には品川稲荷社などと呼ばれ、東海寺鎮守とされた。 | ||
*[[東海寺大山墓地]]: | *[[東海寺大山墓地]]: | ||
+ | *板垣退助墓:品川神社裏。 | ||
+ | *渋川景佑墓: | ||
+ | *渋川敬尹墓: | ||
+ | *渋川敬直墓: | ||
+ | *半井卜養墓: | ||
+ | *林正明墓: | ||
+ | *細川重賢墓: | ||
== 塔頭 == | == 塔頭 == | ||
*臨川院:のち玄性院。1639年老中堀田正盛が創建。現在の東海寺。 | *臨川院:のち玄性院。1639年老中堀田正盛が創建。現在の東海寺。 | ||
- | * | + | *長松院:酒井忠勝が創建。 |
- | * | + | *妙解院:細川光尚が創建。 |
*雲龍院: | *雲龍院: | ||
*春雨庵:単立春雨寺として現存。 | *春雨庵:単立春雨寺として現存。 |
2019年7月1日 (月) 時点における版
東海寺(とうかいじ)は、東京都品川区北品川にある臨済宗寺院。大徳寺末の江戸触頭だった。本尊は釈迦如来。臨済宗大徳寺派。山号は万松山。 境外に東海寺大山墓地がある。
歴史
1638年、将軍徳川家光が沢庵を開山として創建。沢庵は紫衣事件で処分されたが、既に恩赦を受け赦免されていた。 翌年、沢庵は入寺。同年、500石が寄進された。1694年火災で焼失。それまでなかった仏殿を含む大伽藍を造営。 朝鮮通信使の宿所に3回使われた。
住職は1645年に沢庵が死んだ後、3年間は無住だったが、 1648年、幕府は大徳寺北派五門流の僧侶による輪番と定めた。任期は2年、のち1年。 1689年、一時独住制となったが、再び輪番制となる。 1869年、品川県が設置され、その県庁が東海寺に置かれることになり、境内の多くが召し上げられたようだ。 県庁自体は建てられることなく、1871年、廃藩置県で品川県は廃止されたが、旧境内は官有地となった部分が多い。 (『日本歴史地名大系』ほか)
伽藍
- 清徳寺:塔頭ではないが、東海寺創建以前からあり、沢庵の宿所だったためそのまま残された。
塔頭
- 臨川院:のち玄性院。1639年老中堀田正盛が創建。現在の東海寺。
- 長松院:酒井忠勝が創建。
- 妙解院:細川光尚が創建。
- 雲龍院:
- 春雨庵:単立春雨寺として現存。
- 清光院:
- 桂昌院:のち定恵院。
- 慈雲庵:
- 少林院:
- 勝幢院:のち師聖院。
- 法雲庵:
- 琳光院:
- 真珠院:
- 高源院:
- 瑞泉院:
- 泰定院:
- 白雲庵: