ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

浄光明寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2019年3月18日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある、北条家足利家ゆかりの真言宗寺院。本尊は阿弥陀如来真言宗泉涌寺派。山号は泉谷山。鶴岡八幡宮の神主を世襲した大伴家大伴神主家墓所がある。(参考:同名寺院浄光明寺_(同名)

歴史

文覚の草庵が前身という。1251年(建長3年)北条長時を開基として真聖国師真阿が創建。1264年(文永1年)、北条長時は浄光明寺で死去(鎌倉年代記)。『吾妻鏡』にある1265年(文永2年)北条長時の追善供養を行った「泉谷新造堂」が浄光明寺と思われる。

真阿は近くの鎌倉・東林寺も創建。

2世は性仙道空あるいは真了という。3世は如仙高恵の時代に四宗兼学の寺院として確立した。1333年(元弘3年/正慶2年)の後醍醐天皇綸旨が残る。同年12月、成良親王祈願所となる。1335年(建武2年)、新田義貞が鎌倉攻めした時、足利尊氏が一時蟄居した。 1399年(応永6年)10月、足利満兼が足利基氏と足利氏満の分骨を収めた。

1923年(大正12年)の関東大震災で大破。本堂のみが現存する。

子院として玉泉院、慈恩院、華蔵院、東南院、慈光院、地蔵院があった。幕末には慈恩院のみが残っていた。

慈恩院は護良親王の追善のために足利直義が創建。 護良親王位牌は理智光寺を経て東慶寺に現存するという。

(日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B5%84%E5%85%89%E6%98%8E%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール