ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

玄昉旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2018年4月8日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

玄昉(げんぼう)(?-746)は奈良時代の法相宗僧侶。阿刀氏。

略歴

義淵の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。玄宗皇帝に謁見。 735年、帰国。日本に初めて整った大蔵経を将来したという。法相宗第四伝。興福寺に所属。 宮中の内道場として光明皇后から海龍王寺を与えられた。 以降、政治にも関与するようになり、740年には玄昉の追放を求めて藤原広嗣が反乱を起こす。 745年11月、観世音寺に左遷。翌年死去。

一覧

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%84%E6%98%89%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール