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願入寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*1956『原始真宗大網門跡如信上人御本廟』
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*『大網願入寺縁起』
*「巌船願入寺記」『大谷遺蹟録』
*「巌船願入寺記」『大谷遺蹟録』
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2018年12月23日 (日) 時点における版

願入寺(がんにゅうじ)は、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町(常陸国鹿島郡)にある浄土真宗寺院。如信旧跡東本願寺連枝御坊真宗大谷派だったが、戦後独立して原始真宗大本山を称す。大網御坊。山号は岩船山。

目次

歴史

親鸞孫の如信が陸奥国白川郡大網(福島県石川郡古殿町竹貫)に創建。孫の3世空如のときに願入寺と名乗ったという。8世如慶のときに那珂東郡小瀬郷大根田(常陸大宮市小瀬)、10世如了のときに那珂東郡菅谷(那珂市菅谷)に、如空のときに久慈東郡久米(常陸太田市久米町)に移転した。

1675年(延宝3年)の15世如高に徳川光圀から現在地を寄進され、移転した(光圀はこの前年に如信の墓所法龍寺を創建している)。 東本願寺14世琢如の次男如晴を迎え、如高の娘と結婚した。 子院として西念寺、正受寺、正安寺、法泉寺、林清寺、西行寺、乗船寺があった。

1864年(元治1年)の天狗党の乱で焼失。1873年(明治6年)仮堂再建。1917年(大正6年)暴風雨で仮堂倒壊。1933年(昭和8年)、大網綱子(のちの大網信照)が本堂再建を発願。1936年(昭和11年)、東本願寺大谷光暢が臨席して地鎮祭。1939年(昭和14年)、上棟式。戦争と住職死去で頓挫するが、1941年(昭和16年)、大網信照が住職継承。1962年(昭和37年)4月11日、本堂再建。この間に真宗大谷派を離脱したようだ。

1996年(平成8年)、石岡市照光寺旧本堂を移築して如信の像を祀る開基堂とした。 覚如の1332年(元弘2年/正慶1年)『二十四輩牒』を蔵する。

久米の旧地には正念寺が残る。

組織

歴代

  • 1如信(1235-1300)<>:善鸞の子。本願寺2世。
  • 2浄如(1265-1340)<>:如信の三男とも、善鸞の長男(生没年は1236-1311)ともいうが、願入寺では如信三男説か。証誠寺を創建したとされる。円芸。
  • 3空如()<>:信芸。
  • 4如善()<>:聖芸。
  • 5如縁()<>:祐芸。
  • 6純如()<>:寿芸。
  • 7源如()<>:蓮芸。
  • 8如慶(?-1500)<>:兼清。
  • 9如賢()<>:兼乗。
  • 10如了()<>:兼昌。
  • 11如空()<>:兼信。
  • 12如正()<>:兼證。
  • 13如明()<>:兼空。
  • 14如観()<>:兼栄。
  • 15如高()<>:兼智。
  • 16如晴()<>:東本願寺14世琢如の次男。瑛兼。恵明院と号す。
  • 17如願()<>:性兼。
  • 18如詮()<>:性栄。
  • 19如英()<>:遍雄。
  • 20如海()<>:朗芸。
  • 21如実()<>:朗兼。
  • 22如證()<>:勝芸。
  • 23如兼()<>:大網勝秀。
  • 24如弘()<>:大網演照。連枝。
  • 25如照()<>:大網信照。大網演照の妻。
  • 26如現()<>:大網現琇。
  • 27如鸞()<>:大網義明。

(境内解説板)

  • 未見「願入寺歴代住持記録」(『帰願寺文書』『福井県史』所収)

参考文献

  • 2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社
  • 国史大辞典
  • 日本歴史地名大系
  • 大洗町を元気にする会『大洗町アーカイブ』[1]
  • 寺西恵然1923『関東聖跡の巡礼』[2]


  • 1956『原始真宗大網門跡如信上人御本廟』
  • 『大網願入寺縁起』
  • 「巌船願入寺記」『大谷遺蹟録』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A1%98%E5%85%A5%E5%AF%BA」より作成

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